2009年2月16日 (月)

巡礼の旅「日の沈む国へ」を読む

 日毎にカミーノが遠くなり、このブログにも記すことがなくなったが、最近スパスパの掲示板に新たに出版された書籍「聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ」のことが掲載されていたので、早速買い求めてみた。

聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ(カバー表面)  本書のカバー写真の表面は、サンティアゴのパラドール方向から大聖堂を撮ったもの、裏面はフィニステーレがムーシア辺りの海岸の写真が使われているようだ。

聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ(カバー裏面)

そして、このカバーと帯を取ると、大聖堂の内部など色調の異なった写真が現れる。

聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ(表紙) 聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ(裏面)

 本書を開くと、まず巻頭に、「スペイン・ガリシア州自治政府 革新産業省大臣 フェルナンド・ブランコ」の挨拶文が目に入って来る。 そして、ガリシアの自然と題した写真が掲載されており、わりとハイキーな写真を見て、昔のチャペルセンターにあった教会の出版物を思い出してしまった。

 巻末にある出版詳細を見ても分かるが、前半の数章が翻訳文で、その他は巡礼経験者の対談やガリシア語講座、ルートマップで、こちらは日本人の方が書かれている。 従い、やはりガリシアの観光案内をベースにまとめられた書物のように思えた。

 一通り見て、体験者にはそれほど価値はないが、これから歩く人にとっては旅の夢を膨らませる意味では良い内容だと思えた。 先ず、巡礼の精神や歴史を宗教的見地から書いてあるのは良いと思う。 また地図記載の地名がカタカナで併記されているのも(スペイン語が読めないので)、そして見学した方が良い教会や修道院の名が記されているのもいい。 実際の我々のカミーノでも、フィニステーレの教会は訪ねなかったし、ムーシアを訪ねることも念頭になかった。 次回は、日にちをかけて教会など遺跡を訪ねることを主眼にして歩いてみたいと思う。

聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ(巻末)

 大雑把に感想を残したが、これから巡礼に出る人のための具体的なノウハウ本にはならないだろう。 以前、「資料探し」にも記したが、イギリスのCSJから取り寄せたThe Camino Francésが一番参考になると思う。 ただこちらは英語だし、地図の記載がない。 Miam Miam Dodoのカミーノフランセ版があったら1冊で済むかもしれないが、あれはフランス語。 我々がカミーノを歩く途中で手に入れた行程マップや、2度目のカミーノの時、英語版のカミーノフランセ・ガイドブックを見つけたが、あのような本でも良いかもしれない。 標高差の記載があるのは助かる。 どちらにしても、実際のカミーノ上には黄色の大きな矢印があり、これに従って歩くわけだから、あまり詳しいコースを頭に入れる必要はない。 泊まるアルベルゲにしても、あまり選択の余地は無く、とにかくベッドを確保するのが先決なので、(費用を抑えるため公営や無料の宿に泊まる方は別にして)ベッド数とか値段などを丹念に調べるより、昼過ぎのなるべく早い時間に次の宿へ到着することに注力した方が良いと思う。

(追記) スパスパのメールで、本書の紹介サイトがあることを知った。 ルートマップの掲載はないが、これを見れば本書の内容の殆どが分かるし、ガリシアの綺麗な写真も見られる。

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2008年7月 9日 (水)

パンプローナの牛追い祭

 サンジャンピエドポーを出発して、カミーノフランセを歩き出した4日目に、最初の大きな街パンプローナに到着するが、ここでは今牛追い祭が行われているらしく、CNN日本語版に「3日目で負傷者計20名」という記事が掲載されている。

人間と牛が追いつ追われつする20060424096 サンフェルミンの通りは、こんな感じでそれほど広くはないし、牛に追われたら何処へ逃げるのであろう。 まぁ、怖いもの見たさで一度は行ってみたい気はするが、事故に遭うのは旅行者が一番多いのではないか。

ここからフランシスコザビエルが生まれたというハビエル城は近く(と云っても1日がかりだが)。

笑うキリスト像を一度は見てみたい。

 以下は、CNN記事から

2008.07.09 Web posted at:  19:59  JST Updated - CNNワールド
3日目で負傷者計20人に、パンプローナの牛追い祭り

Cnn200807090032
パンプローナの牛追い祭り。今年は3日目で負傷者が計20人にマドリード(CNN)
 スペインのメディアは9日、同国北部パンプローナでの年恒例の行事、牛追い祭りの3日目で男性1人が腹部を角で突かれ、別の1人が顔に負傷したと報じた。腹部を指されたのは22歳の米国人男性で、病院に運ばれたが容体は安定しているという。
これで同祭りの負傷者は20人となった。このうち角で突かれたのは2人目。負傷者のうち10人はスペイン人。 今年の牛追いは7日間連続で実施。雄牛6頭が路上に放たれ、闘牛場まで数百人規模の人間と追いつ追われつの対決を繰り広げる。祭りは米国の文豪ヘミングウェーの小説で有名。 同祭りは約400年前に始まったとされるが、1924年以降、計13人が死亡したとされる。最後の犠牲者は1995年の当時22歳の米国人青年だった。

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2008年6月21日 (土)

モアサック到着の葉書が届く

200806moissac  先月、フランスから電話があったと記したが、GR65を3分割して歩いているフランスのカップルからモアサックに到着したと絵葉書が届いた。 「全て順調」のようなことを書いていたので、天候は悪くなかったのかもしれない。 スペインの場所によっては洪水が起きるほど雨が降っているとニュースで見ていたので気になっていた。

彼らは、配管工と肉屋をリタイアして、毎年一週間と日切り打ちをしているが、堅実な生活が垣間見えて考えさせられる所が多かった。 来年はサンジャンピエドポーまで歩くのであろうが、多くのフランス人と同じでバカンスで歩いている彼らはスペインのフランス道まで歩くかは分からない。

 20070615275 昨年GR65を歩いた時、モアサックでは一日余分に滞在して、カテドラルや町中の見学をしたが、聖堂の片隅にあった木彫で素晴らしいものがあった。 一つは幼子を抱えたマリアが馬に乗りヨゼフが馬を引いているもの。 もう一つは、十字架から下ろされたキリストを優しい眼差しで見るマリアの姿。 ともに暗い場所なのできちんとは撮れなかったが、印刷して随分と皆に差し上げた。

 この写真は、カテドラルの裏手にあった民族博物館のような所で撮ったもの。 コンポステーラ1976年と表示されている。

 先日、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のことを書いたが、色々なリンクを辿っている中で、ミクシーの中にもいくつか巡礼路に関連したグループがあることが分かり、その掲示を読ませてもらったが、グループメンバーになってまで情報交換をする気にはなれなかった。

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2008年6月16日 (月)

コンポステーラから葉書が届く

200806compostela1 昨年、GR65の後半で時折同道し、英語が話せると通訳してもらったパリジェンヌから、今年はフランス道を歩いてコンポステーラに到着したと絵葉書を戴いた。

 彼女のご主人はオイルプラントの仕事についていたと、日本に来たこともあったと言っていたが、殆どは中東に滞在していたようだ。 彼女はボランティアで英会話を教えていたと、フランス語が飛び交うジットで通訳してもらい、随分と助けてもらった。 そして、歩き終えてサンジャンを去る時も同じ列車に乗ってバイオンヌまで一緒に向かった。

200806compostela2 日本人よりは老けてみえるのだが、たぶん彼女は70歳近いと思う。 背が低くて丸っこい、日本人の体型に近く、それでも今年も頑張って歩いたようだ。

ただ、今年は雨が多かったように葉書には書いてある。 

さて、スペインのカミーノ情報はながらくスパスパが伝えていたが、最近会員(有料)制の日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会という組織が出来たようだ。 有名人を賛同者に加えているようだが、こういう組織の運営が順調に運ばれるのか、また会員に希望する情報が的確に与えられるのか、良くは分からない。 単なるツーリストに近いような組織になったら本末転倒であろう。 手取り足取りの情報ではなく、手探りのカミーノ体験こそが体験者それぞれの心に残るカミーノだと思う。 まだ2度のカミーノ体験しかないが、不安な中で色々な国の人々と関わりあうことこそがサンチャゴ巡礼であろう。 友の会の運営をしばらく注視していようと思う。

まだまだ、ル・ピューイからジュネーブに遡る道や、スペインの北の道など、関心のある道はあるので、1~2年のうちには少なくともあと1回は歩いてみようと思っている。

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2008年5月30日 (金)

フランスの巡礼仲間から電話がある

20070602066 昨年、GR65のソーグからコンクまで一緒に歩いたフランスのマリーローザさんから昨日電話があった。

 彼らはリタイアしているとはいえ、普段はお孫さんの世話をしたりして長く巡礼路を歩くわけにはいかず、3年間でサンジャンまで歩くことにしている。 今年はコンクからモアサックまで来月初から歩くと葉書が届いていたので、気をつけて歩くよう電話をしていたら、更に電話を返して来ていたのであった。

 昨年は、雨降りに何度も会い気温も低かったが、今年もあまり良くない天気が続いているとのことである。 スペインの方のフランス道の天気は分からないが、今頃はカミーノを歩く人々が多い時期でもある。 雨降りとなれば難儀をされていることであろうが、川のような巡礼路も、牛の糞と混ざったような泥道も、今思えば懐かしくなる。

20070628127 また、昨年のカミーノ後半で、やはり一緒になったイレーヌさんが来月日本へ観光旅行に来る。 我々はフランス語を全く解さないのだが、都合良く英語を話す息子さんが東京に駐在しているのであった。

 来月、横浜や鎌倉を案内することになろう。 まだまだカミーノの余韻がいまだに残っているのである。 来年こそは三度カミーノを歩きたいと思うがなかなか予定は立たない。

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2008年3月25日 (火)

「四国遍路」を読む

 在職中に旧東海道など街道歩きを楽しむことを覚え、先々では四国遍路が出来ればいいなと漠然と思っていたが、寺にある先祖の墓を詣でる習慣はあるものの、仏教の教えなどについての理解がなく、仏像などを見ても信仰の対象として伝わるものがなかった。 加え、遍路宿や宿坊などのマイナーな部分や国道歩きの危険、更には詐欺まがいの交流もあると聞き、それならばむしろ海外の方が安全であろうと、カミーノ歩きを思い立ったのであった。

 一昨年のカミーノ歩きの初日、ピレーネ越えの時、初老の日本人男性お二人に行き会ったが、お二人は四国遍路で知り合い今回カミーノへ同道されているとのことであった。 足の遅い我々を早々に追い越して行かれたが、その後数回同宿することができ、遍路を含め色々な話をうかがうことが出来た。 また、今回そのお一人が我が家を訪ねてくださり、四国遍路には、カミーノとは違う良さがあり、機会があれば再び歩いてみたいというお話であった。

 そんなこともあって、3回目の巡礼路は四国遍路だと心を少しずつ傾けはじめ、ウエブサイトを見たり、図書館から関連図書を借りて読んでいる。 そこで、今回読んだのは、岩波新書版辰野和男さんが書かれた「四国遍路」。 著者は、朝日新聞の天声人語を書かれていたこともある方で、40歳代に一度歩かれていたが、69歳頃に再び区切り打ちを行い、路で出会った人々や接待などから感じられたことをエッセイにまとめられているものであった。
 徳島、高知、愛媛、香川と章分けされ、「誘われる」から始まり「結ぶ」まで、行間に上人や文人の詩や句をちりばめ、平易な文面だが内容的に深いものがある紀行文である。 安全で悲しい思いをしないような遍路ができる情報を与えてくれるノウハウ本も大事であろうが、本書のように自分の心持ちに言及するような文面も良い指南になろうと思った。

 読み終えて、遍路は、札所一つ一つを訪ね、般若心経を唱え、お大師に会うのが目標であり目的であろうと思った。 それは、輪廻感というか、”廻る”という中でお大師に近づこうとするものかもしれない。 カミーノは、コンポステーラに到着することが目的であり、途中教会に寄り、”祈る”という行為はあったとしても、特定の意味も意義はない。 ヤコブに会えば巡礼は終わったということだ。 遍路を廻る旅は、人生の終焉まで続くもののように思えて来た。

 ということで、バス遍路が少なくなる時期を見定め、遍路を始めようと思う。

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2008年3月23日 (日)

カクレキリシタン

 先月、長崎のキリシタン巡礼の旅に出かけ、隠れキリシタンの世界に浸って来たが、もう少し知りたいと、今回、長崎純心大学人文学部教授宮崎賢太郎氏の「カクレキリシタン」長崎新聞新書版を読んだ。
 1550年以降、ポルトガルなどから来た宣教師から教えを学んだ、長崎周辺の多くの人々がその理由は別にして、キリスト教を信じるようになったわけだが、秀吉の禁教令などにより地下に隠れたような信仰生活を余儀なくされてしまった。 そんな信仰が200年以上も言い伝えだけで続いて来たが、禁教の時代は終わったと、1865年大浦天主堂のプチジャン神父に、”同じ信仰を持つものだと”申し出た人々がいたという。 大浦天主堂階段脇には、ここが日本カトリック教会復興の場所だと、その場面を描いたモニュメントが建っている。20080207016  この絵のように、「隠れキリシタンの信仰=カトリック」というのが今までの自分の認識であったが、本書を読んで全く異なった世界であったことを知った。
 つまり、禁教時代は司祭や宣教師などの指導者はおらず、隠れた言い伝えだけで信仰を守り、日常は寺や神社の檀家としての装いもしていたわけで、そういう生活の中で、色々な宗教儀式が混ざわりあって、全く異なる宗教形態をなして来ていたのであった。 つまり、キリスト教の土着化や土俗化が進んでいた社会であったわけだ。

 従い、戦後、人々が生活の糧を求めて流動するに至って、帳役や水役などの信仰儀式を執り行うことが難しくなり、キリシタン集落としての維持が困難になった。 先祖の墓を守るなどの組織が成り立たなければ、地域の寺の檀家になったり神社に所属するようになるのは自然の理である。 著者は、家の中には色々な神様が存在し、その中からたまたまキリシタンの神様が消えただけで、彼らの生活や宗教観に何ら変化がなかったと記している。

20080206boshi

 先月、外海の黒崎を案内していただいた時に、天福寺の住職に世話になった隠れキリシタンは多かったとの話であった。 この墓誌のように、昔に亡くなられた方には洗礼名(霊名)が付き、最近に至って戒名に変わっている墓所を随分と見た。
 最初にこの墓誌を見た時、キリシタンから仏教に帰依する意図がよく理解できなかったが、本書を読んで納得。1597年2月にのちに26聖人となった司祭や信者が殉教していたが、その時代とは大きく変化してきたのが隠れキリシタンの歴史であったということであろう。

 今回の巡礼は、長崎カトリックセンターが主催したもので、ご担当の方々の熱情には感じたものの、現在のカトリック教会の隠れキリシタンに対する思い入れは少ないように思われた。 その一因が、本書に書かれていたことでもあったと悟ったわけだ。

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2008年2月19日 (火)

隠れキリシタンの里へ

先日、隠れキリシタンの里を訪ねて来た。 スペインやフランスの現代のカミーノは遺跡探訪や長距離踏破への達成感的要素が色濃い。 ヤコブやアッシジのフランシスコなどの先人の心に触れることは全くないと云える。 その代わり、色々な国の人々と知り合い、その良さやしっくりいかない所を感じながらもカミーノを共時することが出来る。

20080205020 それに反し、長崎周辺のキリシタン殉教地は、歩くことは少ないが、つい100年から200年前の事実であり、棄教しないがために死に至った責めは想像を絶する所作であったと、そこかしこで感じることができる。 十分な食糧を持たず、貧しい日常生活の中で信仰を貫いた、その心根や思いには強烈に感じ入るものであり、サンチャゴ巡礼とは大きく異なる。

 そこで今回巡った長崎巡礼の地をしばらく記しておこうと思う。 まず、長崎駅近くの西坂公園には、1597年豊臣秀吉の命により殉教された26聖人のレリーフがあり、その裏には資料館がある。 その資料館にあったのが、フランシスコ・ザビエルの木彫であり、ここにはこう記されている。 因みに、ザビエルが生まれたハビエル城はフランス道のパンプローナからほど近い所にある。

永遠の巡礼者ザビエル - 17世紀ドイツ製の木彫。 ザビエルがスペインの「サンチャゴの道巡礼者」姿を示す。 神に向かって歩んだ「旅人」ザビエルの心を現している。

明治初年、明治政府によるキリシタン弾圧(廃仏毀釈という言葉あるように仏教界への弾圧もあったようだが詳細不明)が行われたわけだが、3千人にもおよぶ浦上のキリシタンは遠く北陸や中京まで流された。 彼らはそのことを「」と呼んでいたとのこと。

26聖人資料館の入口に、詩篇の一節が掲げられていた。

人間は旅人である。
旅をしながら歴史をつくるが
その旅路は人間を育て
精神的に豊かにする。

すべての旅のうちで
最も優れたもの、それは
神への人の心の旅。

「神よ、私は
あなたを探し求め、
私の魂は
あなたを渇き求める。」
詩篇63.2

人間は永遠性の憧れを持つ
巡礼者である。 そのあこがれは
キリシタン史のはじまりである。

旅=カミーノ(道)。 人生は旅であり道であると、つくづく思うようになった。 道を極めることなんて到底無理なのだが、これからも(意味のある)旅を続け、そして歩き続けたいという気持ちを強くした詩である。

20080205009

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2008年2月18日 (月)

カミーノ仲間から動画映像が届く

20080218lulu1 昨年5~6月に、ルピューイ・アン・バレーからサンジャン・ピエド・ポーまでGR65を歩いた時に、後半の一時期同道してくれたフランスのカミーノ仲間から動画映像を収録したDVDが届いた。

何でも撮ろうとレンズの方向をあちこち回すので、目がくらくらするような映像のうえ、解説が全てフランス語なので分かり難いのだが、それでも一緒に歩いた時の状況を思い出させてくれるので楽しい。

彼らは、サンジャンからロンセス・バージェスまでのピレーネ越えをしてから車でサンジャンに戻り、奥さんはそのまま自宅へ帰り、ご主人と弟さんは北の道をサンチャゴに向けて歩いていたのであった。 その北の道の映像もあるのだが、どこがどこだか分からず、次回のカミーノには参考にならないようで、それが少し残念である。

20080218lulu2 彼らがフィニステーレに到着した時、絵葉書を送ってくれたことは、以前の日記に記した。

さて、彼らの息子さんはフランスの大会社に勤務し、現在東京に駐在し、虎ノ門に住んでいるとのこと。 そして、この7月に日本にやって来るとのことである。 息子さんは英語を理解するらしいが、彼らはフランス語だけ。 我々はフランス語を解さないし、英語力もかなり心もとない。 食事をしようと誘われているし、カミーノのお返しの意味でも東京案内などしなければならないであろう。 こちらも東京にいる息子を引っ張り出して、意思疎通の仲介役をしてもらおうと思う。

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2007年9月28日 (金)

サンジャンでお会いしたお嬢さんからメールが届く

20070629004 さる6月下旬、GR65を歩きとおしてサンジャンに到着した時にお会いした、日本のお嬢さんからメールが届いた。 信仰の道としてのカミーノをテーマに大学院に通われていると、今回はアルベルゲでボランティアをした後に、北(ノルテ)の道を歩くと仰っていた。 

 今回が3度目か4度目でだいぶ歩きなれているようで、お会いした時には、靴を機内かどこかに置き忘れたけど、何とかなるでしょうと楽観しておられた。 たぶん7月中旬から8月中旬にかけて歩かれたのでしょうが、北の道は美しい風景に溢れているけども、巡礼の道という片鱗は感じられなかったとのこと。 それでも、盲目のご夫婦の巡礼者と数日一緒に歩き、強く印象になるものがあったと記されていた。

 我々がサンジャンを離れる際、電車が出るまでのわずかな時間の中で、いろいろお話をしたのですが、写真を撮るのは失礼かと思い撮っていなかった。 そこで撮りためたものを見ていたら、ピレーネ越えをするため、それまで一緒に歩いたフランスのご夫婦達と別れる際の写真を見たら、遠くに写っていた。 機会があれば、そのYさんに北の道のことをうかがいたい。 宿と食の苦労があまりないようなら、来年再び歩いてもいいかなと思っている。

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