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2008年3月25日 (火)

「四国遍路」を読む

 在職中に旧東海道など街道歩きを楽しむことを覚え、先々では四国遍路が出来ればいいなと漠然と思っていたが、寺にある先祖の墓を詣でる習慣はあるものの、仏教の教えなどについての理解がなく、仏像などを見ても信仰の対象として伝わるものがなかった。 加え、遍路宿や宿坊などのマイナーな部分や国道歩きの危険、更には詐欺まがいの交流もあると聞き、それならばむしろ海外の方が安全であろうと、カミーノ歩きを思い立ったのであった。

 一昨年のカミーノ歩きの初日、ピレーネ越えの時、初老の日本人男性お二人に行き会ったが、お二人は四国遍路で知り合い今回カミーノへ同道されているとのことであった。 足の遅い我々を早々に追い越して行かれたが、その後数回同宿することができ、遍路を含め色々な話をうかがうことが出来た。 また、今回そのお一人が我が家を訪ねてくださり、四国遍路には、カミーノとは違う良さがあり、機会があれば再び歩いてみたいというお話であった。

 そんなこともあって、3回目の巡礼路は四国遍路だと心を少しずつ傾けはじめ、ウエブサイトを見たり、図書館から関連図書を借りて読んでいる。 そこで、今回読んだのは、岩波新書版辰野和男さんが書かれた「四国遍路」。 著者は、朝日新聞の天声人語を書かれていたこともある方で、40歳代に一度歩かれていたが、69歳頃に再び区切り打ちを行い、路で出会った人々や接待などから感じられたことをエッセイにまとめられているものであった。
 徳島、高知、愛媛、香川と章分けされ、「誘われる」から始まり「結ぶ」まで、行間に上人や文人の詩や句をちりばめ、平易な文面だが内容的に深いものがある紀行文である。 安全で悲しい思いをしないような遍路ができる情報を与えてくれるノウハウ本も大事であろうが、本書のように自分の心持ちに言及するような文面も良い指南になろうと思った。

 読み終えて、遍路は、札所一つ一つを訪ね、般若心経を唱え、お大師に会うのが目標であり目的であろうと思った。 それは、輪廻感というか、”廻る”という中でお大師に近づこうとするものかもしれない。 カミーノは、コンポステーラに到着することが目的であり、途中教会に寄り、”祈る”という行為はあったとしても、特定の意味も意義はない。 ヤコブに会えば巡礼は終わったということだ。 遍路を廻る旅は、人生の終焉まで続くもののように思えて来た。

 ということで、バス遍路が少なくなる時期を見定め、遍路を始めようと思う。

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2008年3月23日 (日)

カクレキリシタン

 先月、長崎のキリシタン巡礼の旅に出かけ、隠れキリシタンの世界に浸って来たが、もう少し知りたいと、今回、長崎純心大学人文学部教授宮崎賢太郎氏の「カクレキリシタン」長崎新聞新書版を読んだ。
 1550年以降、ポルトガルなどから来た宣教師から教えを学んだ、長崎周辺の多くの人々がその理由は別にして、キリスト教を信じるようになったわけだが、秀吉の禁教令などにより地下に隠れたような信仰生活を余儀なくされてしまった。 そんな信仰が200年以上も言い伝えだけで続いて来たが、禁教の時代は終わったと、1865年大浦天主堂のプチジャン神父に、”同じ信仰を持つものだと”申し出た人々がいたという。 大浦天主堂階段脇には、ここが日本カトリック教会復興の場所だと、その場面を描いたモニュメントが建っている。20080207016  この絵のように、「隠れキリシタンの信仰=カトリック」というのが今までの自分の認識であったが、本書を読んで全く異なった世界であったことを知った。
 つまり、禁教時代は司祭や宣教師などの指導者はおらず、隠れた言い伝えだけで信仰を守り、日常は寺や神社の檀家としての装いもしていたわけで、そういう生活の中で、色々な宗教儀式が混ざわりあって、全く異なる宗教形態をなして来ていたのであった。 つまり、キリスト教の土着化や土俗化が進んでいた社会であったわけだ。

 従い、戦後、人々が生活の糧を求めて流動するに至って、帳役や水役などの信仰儀式を執り行うことが難しくなり、キリシタン集落としての維持が困難になった。 先祖の墓を守るなどの組織が成り立たなければ、地域の寺の檀家になったり神社に所属するようになるのは自然の理である。 著者は、家の中には色々な神様が存在し、その中からたまたまキリシタンの神様が消えただけで、彼らの生活や宗教観に何ら変化がなかったと記している。

20080206boshi

 先月、外海の黒崎を案内していただいた時に、天福寺の住職に世話になった隠れキリシタンは多かったとの話であった。 この墓誌のように、昔に亡くなられた方には洗礼名(霊名)が付き、最近に至って戒名に変わっている墓所を随分と見た。
 最初にこの墓誌を見た時、キリシタンから仏教に帰依する意図がよく理解できなかったが、本書を読んで納得。1597年2月にのちに26聖人となった司祭や信者が殉教していたが、その時代とは大きく変化してきたのが隠れキリシタンの歴史であったということであろう。

 今回の巡礼は、長崎カトリックセンターが主催したもので、ご担当の方々の熱情には感じたものの、現在のカトリック教会の隠れキリシタンに対する思い入れは少ないように思われた。 その一因が、本書に書かれていたことでもあったと悟ったわけだ。

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