2006年5月31日 (水)

Caminoプラス2

Caminoプラス2

Caminoの最終地点であるフィニステーレの岬に立ちました。早速日本のシヤンプーで体を洗い気分を一新。
本来はあと2〜3日かけて歩くつもりでしたが、サンチャゴ到着で我々のCaminoは既に終わっていたので、これ以上歩いても仕方ないと止め、早朝から3つのバスを乗り継いで大西洋岸のフィニステーレへやって来ました。フィニステーレは南国風の保養地のような感じで、ホテルなど宿泊設備が多い。外洋に面しているためであろう風が大変強いが紺碧の海がすごく綺麗です。
先ほど22日程で歩いたという日本の若者に会いました。人それぞれのCaminoがあることは分かっています。しかしCaminoをそんなに早く歩いただけでは何が残るであろうか? とちよっと気になりました。オーラとかブエノスディアスと挨拶を交わした人々、折々に笑顔を交わした仲間、悲しみや苦悩をかかえていた人々、色々な人、色々な国の人と接して来たことが、自分達のこれからの人生を考える糧であり塩になって行くのではないかと思えます。
大変だったけど、Caminoを歩いて良かった。色々応援、支えて下さった皆様、有難うございました。日本に帰ったらまた新しいCaminoがあるかも知れません。
Caminoの報告はこれで終了します。明日はパリへ戻る交通手段の算段をしなければなりません。
写真は夜10時岬から見た日没。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月30日 (火)

Caminoプラス1

Caminoプラス1

この二日間でサンチャゴ自体は来るべき所ではなかったと、その有様にがっかりした。サンチャゴ到着を完成させた後、早く抜け出したいと、当初の予定通り大西洋岸まで歩くつもりでいた。しかし、ここ三日間の暑さにめげてしまい、先の予定を決めかねていた。そんな中ドイツから来たルチアに会い、一緒に海岸まで歩くことになってしまった。
公称22kmを40千歩で今日は歩いてネグレイラという比較的大きい町に着いた。アルベルゲへ行くと、床マットまでフル状態、たまたま行き交ったスペインの叔父さんもあぶれて宿の手配をしている所に、運良く我々もバルの階上にあるオスタルを確保することが出来た。
しかし彼が言うには、巡礼ではなく車で移動している旅行者が、アルベルゲの半数のベッドを確保していたとのこと。 このようにガリシア地方におけるアルベルゲの無管理状態やツーリストが公共宿の責任者にマージンを払っている(ベッドの事前確保)など、Caminoの現実は問題が実に多い。 日本の若者が夢を抱いてカミーノを歩くと、金銭面など種々のこのような現実に直面することになるのではなかろうかと気になった。 実際に、昨日、バッグを盗まれたという青年にも会った。 Caminoは世界遺産の名のもとに住民も社会も経済も腐りつつある道程をたどっているようにも思える。
さて我々だが、今日は風があって歩きやすかったものの、休んだ後なのできつかった。明日以降、海岸まで70km弱を残している。 無理すれば二日の距離なのだが、今まで以上に宿の不備が予想され、宿確保に余分な神経を使いたくないという気持ちで一杯。 バスの手当がつけば、一気に海岸まで行ってしまうのも一法だと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

サンチャゴ休日

サンチャゴ休日

日曜日のサンチャゴは観光地そのもので、人出でごった返している。浅草などのように、その本来の意味を失っているようにも感じた。ミサの初めに国名なのか名前なのか言っているのだが何を言っているか全く判読出来ない。神父さんにとっては毎日のことで名を言うことに特別の感情はないのかもしれない。ハポンだけは聞こえた。最後に乞食に等しい者を香りでつつむのであろう、テレビの映像でよく見る大きな香炉(ボタフメイロ)が左右に振られると拍手が起きたがすぐに終わってしまった。
巡礼事務所の前の店では証明書を入れる筒を売っている。また23番地のフォトシヨップへ行くとコピーが取れるしパウチもしてくれる。
パラドールへ行くと先着10名限定だが食事が無料で出来るらしい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年5月28日 (日)

Camino37日目(サンチャゴ到着)

Camino37日目(サンチャゴ到着)

サンチャゴ着、20km、34千歩。とうとう本日15時終着。約800kmのCaminoを歩き通したわけです。今日は昨日に続いて真夏日で汗は滝のように流れるし、水補給はひっきりなしという一日でした。残り距離がわずかだと朝8時半にゆっくり出たのだが、暑さのため今日はサンチャゴが実に遠いと思えた。
サンチャゴに着いて嬉しかったのは、以前ご一緒させていただいた日本人男性お二人と偶然会えたことです。お二人は大西洋岸のフィニステーレまで歩き、今サンチャゴに戻って来たとのこと。何より感激でした。
明日昼のミサの中で前日着いた巡礼者の国名が公開されるとのこと。
さて我々はあと110kmを歩こうと計画していたのですが、今日の暑さにめげ出しそうです。サンチャゴという都会はあまりにも騒がしいので明日中には脱出方法を決めたいと思っています。
写真はサンチャゴの入口であるモンテドゴゾ(喜び丘)にある大きなモニュメント。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月27日 (土)

Camino36日目

Camino36日目

ペドロウゾ着、34km、60千歩。昨日はサンジャンを初日同時に出発したイギリス紳士に助けられて容易にオスタルを見つけることが出来て、40km行軍の疲れを癒すことが出来た。早速プルポの店に行ったのだが、大きい店でやや茹で過ぎの感じで期待はずれだった。この店で今朝別れたはずのロマーノ少年の家族に会い、明日一緒に歩くことになった。宿に戻って疲れのため何もする気力もなく就寝。今朝は7時から歩き始めた。
20km程でロマーノ少年はダウン、両親はタクシーで予定地へ移動。宿の予約までしてくれた。おかげで宿の心配はなくなったのだが、更に歩く羽目になり、昨日に続いてロングの日となった。
しかしおかげで目的地であるサンチャゴまで明日は18kmを歩くのみとなった。
写真は今日見た牛の出産直後のもの。飼主は引張り出すだけで、あとは野原に放りぱなし。赤子は必死に立としていました。それにつけても日本の牧場は過保護ですね。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年5月26日 (金)

Camino35日目

Camino35日目

メリデ着、40km、67千歩。今朝薄暗い6時に出発、夕方6時までほぼ12時間歩いた。最後は二人共おし黙ったまま必死に歩いていました。理由の一つは、途中のパラス・デ・レイの宿の施設があまりにも酷いため、二つ目は、プルポ(タコ)料理を食べたいためでした。でもこれまでの日程の中で一番過酷な日でした。明日は通常に戻しますが、残る距離が51kmになりました。
昨夜はイタリアのロマーノ少年と折紙をしたり紙飛行機を飛ばして遊びましたが、彼等は時間がないとバスでサンチャゴへ移動しローマに帰るようです。
昨日はトヨタで働いていたことがあるという人や日系ブラジル人などと久しぶりに日本語の会話をしました。更に夕方遅くに4人の日本人グループが到着。巡礼証明書はサンチャゴの100km手前から歩いておれば良いというので、サリアから初めた一日目とのことだった。しかし100kmだけでは本当のCaminoは分からないだろうと思う。 例えば宿であるアルベルゲのシャワー、トイレ、洗面は一ヶ所に集中しており、場所によっては男女共用である。 昨夜の方々はシャワー室に仲間だけで入って、扉を押さえて誰も入れないようにしていたので、数人が入口で待っていた。 家内が状況を説明し理解してもらったが、集団になると都合の良い考えが先行してしまう。 フランスの団体がうるさいと思ったら日本人もかなりかしましい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

Camino34日目

Camino33日目

ポルトマリン着、18km、30千歩。ガリシア地方は雨が多いと聞いていたが、今日は濃霧の中の出発であった。 髪の毛がぐっしょりとなる感じで、気温も低く指先が冷たい。 今日の道も牛を生業にしている小さな集落をいくつも通過したが、昔ローマ人が作ったであろうか積石で道や牧草地を仕切っている場所がずっと続いていた。 サンチャゴまで100kmという地点で記念撮影。 残り90となり、いよいよ到着が現実味を帯びて来た。
今日の町は昔の町が湖底に沈んでしまい再興されたらしく建物が一様で変化がない。
それにしても昨日の宿は高かった。都市近郊の農家が手取り早く金儲けができる知恵を身に付けてしまった感じだ。 世界遺産は多大な経済効果をスペインに与えていると、このように実感できるのだが、国全体を通した事業管理ができていないと感じる。 加えフランスの観光業者などが先回りして宿のベッドを確保してしまうのも問題。 ガリシア地方のアルベルゲ(宿)は無料ということだが、ベッド数が少ない。 民間の宿に泊まれば高くつく。 ヨーロッパ隣国であれば休暇のたびとか小刻みに歩けるが、日本などの遠い者にとってはカミーノは遠い存在になるかもしれない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

Camino33日目

Camino33日目

バルバデロ着、19km、35千歩。オスタルからなので9時過ぎのゆっくりな出発だ。初めは車道、そして狭い地域で上ったり下がったりの田舎道の連続だった。牛のウンチの臭いにもいい加減飽きた。
街中に来てホテルで昼食を取り、もう少し頑張ろうと思ったのがいけなかった。農家の納屋を改造したような宿で9Eも取る。これからは今まで以上に宿確保が大変そうだが、あと6日でサンチャゴに着くであろう。
今日は初めて道祖神のような祠を見た。写真はその映像。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月23日 (火)

Camino32日目

Camino32日目

サモス着、32km、50千歩。オセブレイロ宿は水シャワーとトイレに紙がないのを除けば良い宿だった。白ワインも美味しかった。昨日峠近くで雨に遭ったがひどくはなかったのでこんなものと思っていた。しかし今朝は晴雲雨霙雹雪をごちゃまぜにした天気で、初日のピレーネ以来の凄さを感じた。歩きはじめは上ったり下ったりで、なかなか山下りが始まらない。結局3時間雨の中の必死な行軍でした。標高600まで下りると天気は回復。
22km先の地点を目的地にしていたのだが、連れが更に10km先へ行こうと言う。途中日がさして新緑が綺麗だし、山裾の田舎道で良かったのですが疲れました。
サモスにはベネディクト会という修道院があるが、ここのアルベルゲは酷い。車道に面した以前は通路のような大部屋に狭い2段ベッドがくっついて着替える場所もなく、マットは日に干していないのか湿っぽく、部屋全体が臭い。これではたまらないと前のオスタルに直行、運良く部屋をゲットできた。今までで一番酷いアルベルゲであろう。修道院の中もそれほどでもない。インターネット情報で期待して距離を稼いだのだが実際は大違い。個人からの情報はほどほどに考えていた方が良さそうだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

Camino31日目

Camino31日目

オセブレイロ着、19km、31千歩。昨夜の宿は貸切に近いほど泊まり客は少なく、インターネットは使い放題であった。今日は標高1300m程のオセブレイロ峠の麓で泊まる予定にしていたが、アルベルゲの事前情報が何か違う感じで、時間が早いこともあって峠を目指すことにした。
村をいくつか抜けると箱根の石畳を思わせるような急坂が始まった。そして尾根上りになると強風が吹きつけだした。雲行きが怪しくなったと思ったら雨が降り出した。風があるから止むかなと思いきやだんだんひどくなる。雨具を取り出したら間もなく峠に到着した。上りの所用時間は3時間、雨がなければそれほど大変な山上りではなかった。後でテレビのニュース映像を見ていたらガリシア地方では気象の激変による事故が多かったようだ。
頂上は一大観光地で車も沢山止まっている。バルなど食事する場所も数軒あって、ケルト音楽が流れている。ガリシアンスーブが美味しい。プルポが美味しそうなのだが意外に値段は高い。
我々は1時半にアルベルゲに着いたが3時に着いた人は床にマット、4時の人は泊まれなかった。
今、バルでガリシアンパイプの生演奏を聞いている。シェリトリンドは分かるが他の曲は分からない。踊り出す客もいて楽しい時間が過ごせた。
写真は、復元されたケルト人の家。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧