2006年5月31日 (水)

Caminoプラス2

Caminoプラス2

Caminoの最終地点であるフィニステーレの岬に立ちました。早速日本のシヤンプーで体を洗い気分を一新。
本来はあと2〜3日かけて歩くつもりでしたが、サンチャゴ到着で我々のCaminoは既に終わっていたので、これ以上歩いても仕方ないと止め、早朝から3つのバスを乗り継いで大西洋岸のフィニステーレへやって来ました。フィニステーレは南国風の保養地のような感じで、ホテルなど宿泊設備が多い。外洋に面しているためであろう風が大変強いが紺碧の海がすごく綺麗です。
先ほど22日程で歩いたという日本の若者に会いました。人それぞれのCaminoがあることは分かっています。しかしCaminoをそんなに早く歩いただけでは何が残るであろうか? とちよっと気になりました。オーラとかブエノスディアスと挨拶を交わした人々、折々に笑顔を交わした仲間、悲しみや苦悩をかかえていた人々、色々な人、色々な国の人と接して来たことが、自分達のこれからの人生を考える糧であり塩になって行くのではないかと思えます。
大変だったけど、Caminoを歩いて良かった。色々応援、支えて下さった皆様、有難うございました。日本に帰ったらまた新しいCaminoがあるかも知れません。
Caminoの報告はこれで終了します。明日はパリへ戻る交通手段の算段をしなければなりません。
写真は夜10時岬から見た日没。

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2006年5月30日 (火)

Caminoプラス1

Caminoプラス1

この二日間でサンチャゴ自体は来るべき所ではなかったと、その有様にがっかりした。サンチャゴ到着を完成させた後、早く抜け出したいと、当初の予定通り大西洋岸まで歩くつもりでいた。しかし、ここ三日間の暑さにめげてしまい、先の予定を決めかねていた。そんな中ドイツから来たルチアに会い、一緒に海岸まで歩くことになってしまった。
公称22kmを40千歩で今日は歩いてネグレイラという比較的大きい町に着いた。アルベルゲへ行くと、床マットまでフル状態、たまたま行き交ったスペインの叔父さんもあぶれて宿の手配をしている所に、運良く我々もバルの階上にあるオスタルを確保することが出来た。
しかし彼が言うには、巡礼ではなく車で移動している旅行者が、アルベルゲの半数のベッドを確保していたとのこと。 このようにガリシア地方におけるアルベルゲの無管理状態やツーリストが公共宿の責任者にマージンを払っている(ベッドの事前確保)など、Caminoの現実は問題が実に多い。 日本の若者が夢を抱いてカミーノを歩くと、金銭面など種々のこのような現実に直面することになるのではなかろうかと気になった。 実際に、昨日、バッグを盗まれたという青年にも会った。 Caminoは世界遺産の名のもとに住民も社会も経済も腐りつつある道程をたどっているようにも思える。
さて我々だが、今日は風があって歩きやすかったものの、休んだ後なのできつかった。明日以降、海岸まで70km弱を残している。 無理すれば二日の距離なのだが、今まで以上に宿の不備が予想され、宿確保に余分な神経を使いたくないという気持ちで一杯。 バスの手当がつけば、一気に海岸まで行ってしまうのも一法だと思っている。

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2006年5月29日 (月)

サンチャゴ休日

サンチャゴ休日

日曜日のサンチャゴは観光地そのもので、人出でごった返している。浅草などのように、その本来の意味を失っているようにも感じた。ミサの初めに国名なのか名前なのか言っているのだが何を言っているか全く判読出来ない。神父さんにとっては毎日のことで名を言うことに特別の感情はないのかもしれない。ハポンだけは聞こえた。最後に乞食に等しい者を香りでつつむのであろう、テレビの映像でよく見る大きな香炉(ボタフメイロ)が左右に振られると拍手が起きたがすぐに終わってしまった。
巡礼事務所の前の店では証明書を入れる筒を売っている。また23番地のフォトシヨップへ行くとコピーが取れるしパウチもしてくれる。
パラドールへ行くと先着10名限定だが食事が無料で出来るらしい。

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2006年5月28日 (日)

Camino37日目(サンチャゴ到着)

Camino37日目(サンチャゴ到着)

サンチャゴ着、20km、34千歩。とうとう本日15時終着。約800kmのCaminoを歩き通したわけです。今日は昨日に続いて真夏日で汗は滝のように流れるし、水補給はひっきりなしという一日でした。残り距離がわずかだと朝8時半にゆっくり出たのだが、暑さのため今日はサンチャゴが実に遠いと思えた。
サンチャゴに着いて嬉しかったのは、以前ご一緒させていただいた日本人男性お二人と偶然会えたことです。お二人は大西洋岸のフィニステーレまで歩き、今サンチャゴに戻って来たとのこと。何より感激でした。
明日昼のミサの中で前日着いた巡礼者の国名が公開されるとのこと。
さて我々はあと110kmを歩こうと計画していたのですが、今日の暑さにめげ出しそうです。サンチャゴという都会はあまりにも騒がしいので明日中には脱出方法を決めたいと思っています。
写真はサンチャゴの入口であるモンテドゴゾ(喜び丘)にある大きなモニュメント。

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2006年5月27日 (土)

Camino36日目

Camino36日目

ペドロウゾ着、34km、60千歩。昨日はサンジャンを初日同時に出発したイギリス紳士に助けられて容易にオスタルを見つけることが出来て、40km行軍の疲れを癒すことが出来た。早速プルポの店に行ったのだが、大きい店でやや茹で過ぎの感じで期待はずれだった。この店で今朝別れたはずのロマーノ少年の家族に会い、明日一緒に歩くことになった。宿に戻って疲れのため何もする気力もなく就寝。今朝は7時から歩き始めた。
20km程でロマーノ少年はダウン、両親はタクシーで予定地へ移動。宿の予約までしてくれた。おかげで宿の心配はなくなったのだが、更に歩く羽目になり、昨日に続いてロングの日となった。
しかしおかげで目的地であるサンチャゴまで明日は18kmを歩くのみとなった。
写真は今日見た牛の出産直後のもの。飼主は引張り出すだけで、あとは野原に放りぱなし。赤子は必死に立としていました。それにつけても日本の牧場は過保護ですね。

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2006年5月26日 (金)

Camino35日目

Camino35日目

メリデ着、40km、67千歩。今朝薄暗い6時に出発、夕方6時までほぼ12時間歩いた。最後は二人共おし黙ったまま必死に歩いていました。理由の一つは、途中のパラス・デ・レイの宿の施設があまりにも酷いため、二つ目は、プルポ(タコ)料理を食べたいためでした。でもこれまでの日程の中で一番過酷な日でした。明日は通常に戻しますが、残る距離が51kmになりました。
昨夜はイタリアのロマーノ少年と折紙をしたり紙飛行機を飛ばして遊びましたが、彼等は時間がないとバスでサンチャゴへ移動しローマに帰るようです。
昨日はトヨタで働いていたことがあるという人や日系ブラジル人などと久しぶりに日本語の会話をしました。更に夕方遅くに4人の日本人グループが到着。巡礼証明書はサンチャゴの100km手前から歩いておれば良いというので、サリアから初めた一日目とのことだった。しかし100kmだけでは本当のCaminoは分からないだろうと思う。 例えば宿であるアルベルゲのシャワー、トイレ、洗面は一ヶ所に集中しており、場所によっては男女共用である。 昨夜の方々はシャワー室に仲間だけで入って、扉を押さえて誰も入れないようにしていたので、数人が入口で待っていた。 家内が状況を説明し理解してもらったが、集団になると都合の良い考えが先行してしまう。 フランスの団体がうるさいと思ったら日本人もかなりかしましい。

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2006年5月24日 (水)

Camino34日目

Camino33日目

ポルトマリン着、18km、30千歩。ガリシア地方は雨が多いと聞いていたが、今日は濃霧の中の出発であった。 髪の毛がぐっしょりとなる感じで、気温も低く指先が冷たい。 今日の道も牛を生業にしている小さな集落をいくつも通過したが、昔ローマ人が作ったであろうか積石で道や牧草地を仕切っている場所がずっと続いていた。 サンチャゴまで100kmという地点で記念撮影。 残り90となり、いよいよ到着が現実味を帯びて来た。
今日の町は昔の町が湖底に沈んでしまい再興されたらしく建物が一様で変化がない。
それにしても昨日の宿は高かった。都市近郊の農家が手取り早く金儲けができる知恵を身に付けてしまった感じだ。 世界遺産は多大な経済効果をスペインに与えていると、このように実感できるのだが、国全体を通した事業管理ができていないと感じる。 加えフランスの観光業者などが先回りして宿のベッドを確保してしまうのも問題。 ガリシア地方のアルベルゲ(宿)は無料ということだが、ベッド数が少ない。 民間の宿に泊まれば高くつく。 ヨーロッパ隣国であれば休暇のたびとか小刻みに歩けるが、日本などの遠い者にとってはカミーノは遠い存在になるかもしれない。

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Camino33日目

Camino33日目

バルバデロ着、19km、35千歩。オスタルからなので9時過ぎのゆっくりな出発だ。初めは車道、そして狭い地域で上ったり下がったりの田舎道の連続だった。牛のウンチの臭いにもいい加減飽きた。
街中に来てホテルで昼食を取り、もう少し頑張ろうと思ったのがいけなかった。農家の納屋を改造したような宿で9Eも取る。これからは今まで以上に宿確保が大変そうだが、あと6日でサンチャゴに着くであろう。
今日は初めて道祖神のような祠を見た。写真はその映像。

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2006年5月23日 (火)

Camino32日目

Camino32日目

サモス着、32km、50千歩。オセブレイロ宿は水シャワーとトイレに紙がないのを除けば良い宿だった。白ワインも美味しかった。昨日峠近くで雨に遭ったがひどくはなかったのでこんなものと思っていた。しかし今朝は晴雲雨霙雹雪をごちゃまぜにした天気で、初日のピレーネ以来の凄さを感じた。歩きはじめは上ったり下ったりで、なかなか山下りが始まらない。結局3時間雨の中の必死な行軍でした。標高600まで下りると天気は回復。
22km先の地点を目的地にしていたのだが、連れが更に10km先へ行こうと言う。途中日がさして新緑が綺麗だし、山裾の田舎道で良かったのですが疲れました。
サモスにはベネディクト会という修道院があるが、ここのアルベルゲは酷い。車道に面した以前は通路のような大部屋に狭い2段ベッドがくっついて着替える場所もなく、マットは日に干していないのか湿っぽく、部屋全体が臭い。これではたまらないと前のオスタルに直行、運良く部屋をゲットできた。今までで一番酷いアルベルゲであろう。修道院の中もそれほどでもない。インターネット情報で期待して距離を稼いだのだが実際は大違い。個人からの情報はほどほどに考えていた方が良さそうだ。

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2006年5月22日 (月)

Camino31日目

Camino31日目

オセブレイロ着、19km、31千歩。昨夜の宿は貸切に近いほど泊まり客は少なく、インターネットは使い放題であった。今日は標高1300m程のオセブレイロ峠の麓で泊まる予定にしていたが、アルベルゲの事前情報が何か違う感じで、時間が早いこともあって峠を目指すことにした。
村をいくつか抜けると箱根の石畳を思わせるような急坂が始まった。そして尾根上りになると強風が吹きつけだした。雲行きが怪しくなったと思ったら雨が降り出した。風があるから止むかなと思いきやだんだんひどくなる。雨具を取り出したら間もなく峠に到着した。上りの所用時間は3時間、雨がなければそれほど大変な山上りではなかった。後でテレビのニュース映像を見ていたらガリシア地方では気象の激変による事故が多かったようだ。
頂上は一大観光地で車も沢山止まっている。バルなど食事する場所も数軒あって、ケルト音楽が流れている。ガリシアンスーブが美味しい。プルポが美味しそうなのだが意外に値段は高い。
我々は1時半にアルベルゲに着いたが3時に着いた人は床にマット、4時の人は泊まれなかった。
今、バルでガリシアンパイプの生演奏を聞いている。シェリトリンドは分かるが他の曲は分からない。踊り出す客もいて楽しい時間が過ごせた。
写真は、復元されたケルト人の家。

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2006年5月21日 (日)

Camino30日目

Camino30日目

トラバデロ着、18km、32千歩。歩きだしてからとうとう30日目になってしまった。 本当ならもうサンチャゴに着いて良い日数だが、余裕を待った歩行なのでまだまだ続くのである。昨夜泊ったホテルの朝食は8時半から、チエックアウトは9時にならないと係が来ない。やっと出発できたのは今までで一番遅い9時半となった。ポンフェラーダから早朝出発した人達が通り過ぎて行った。空の雲行きがおかしいようで、地元の人は傘を持っている。
我々も昨日買ったサクランボを口に放り込みながら歩き始めた。

ビジャフランカでは、ここまで来れば巡礼したと認められる「許しの門」という旧い教会を訪問。残念ながら聖堂内部の撮影は出来ないが、古色蒼然としていい。係りの女性が一人待機していてクレデンシャルに印を押してくれた。 隣のアルベルゲの主であるヘスス・ハートさんはヒーラーでもあり、入ってきたフランス娘の足の具合が悪いと感じザックをすぐに下ろしなさいと言っていた。家内とのツーショットは撮らせてもらったが、ヒーラーをしている様子を撮ることはできなかった。

ビジャフランカからは、道は3つに分かれるのだが、天候が良くないこともあって、一番簡単な車道を歩くことにした。 車道といっても殆ど車の往来はない。 山の谷間を我々が歩いている道に加え、水流の多い川と高速道路が並行して上って行く。

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2006年5月20日 (土)

Camino29日目

Camino29日目

カカベロス着、16km、28千歩。昨夜は中華料理店を見つけられたのだが、開店は夜9時過ぎらしく諦めた。当然和食などの店はない。夕食はスーパーで買ったパンとチーズにワインであった。久しぶりに白を飲んだが1Lの量で1Eしない値段に飲み過ぎてしまう。昨夜の宿は二夫婦だけの狭い部屋であったが、逆に気を使ってしまい疲れてしまった。Caminoの最後の難関であるオセブレロ峠越えを控え、一日の歩行距離を15km程度に落とし英気を養うことにした。
今日は、町の入口で綺麗な建物を見つけ、ワイナリーらしく色々なワインと同時にチーズやソーセージなども売っており試飲もさせてくれた。ホテルも兼営していると一発で気に入り泊まることにした。
周辺の家々にはバラが咲いているが、そろそろ時期を終えたようだ。今日はバルで食べたプルポが大変美味しかった。サクランボも安くて美味しい。

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2006年5月18日 (木)

Camino28日目

Camino28日目

ポンフェラーダ着、22km、39千歩。昨日は他人からは狂っていると言われながらも事故に遭う人々を気遣い小屋を建てた所に泊まったわけだが、ある意味で有名人なのか色々な人が来るようだ。 女優のS.マックレーンが来た時のらしい写真があったし、客の中にパウロ・コエーリョに心酔してるのか魔女のような気持ち悪い女もいた。 そういうふうに判断するのは良くないのであろうが、日本を離れて一月も越えると西洋人の個人主義というかエゴが鼻につくと同時に日本人の良さが日増しに強まって来たのだ。
夜中にトイレと言っても野原でだが、起きた時は満天の星が大変綺麗だった。でも寒さで長く鑑賞する余裕はない。 早朝星空の下を出発しようと言っていたら雨が降り出した。 しかし朝7時には止んでくれたのだが、今度はすごい霧で数10m先が見えない。
今日は900mの標高差を下って来たのでかなり疲れた。今日の町は比較的大きく、中華料理店があるらしく探してみたいと思うが、はたして見つかるであろうか。

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Camino27日目

Camino27日目

マンハリン着、25km、43千歩。昨夜同宿したカナダ女性は72歳だと日に30〜40kmも歩いているらしい。太った元気なお婆ちゃんである。今朝は足が遅いからと5時に出発した彼女の後を追って予定の目的地に着いたのだが、更にその先へ行ってしまっていた。
今日の道はずっと上りで600上って高度1500mまで来た。初めはハーブ畑、高度が上るとヒースに変って来た。
フォンセバトンは野犬がいる廃村と聞いていたが、宿もバルもある村だ。バルはスイス人がやっているらしく、シチュウ(補足→日本のシチュウとは異なり、煮込んだ肉料理で汁はない)が大変美味しかった。
今日の宿は更に上って村一軒しかも山小屋。電気もシャワーもなく、トイレは外のボットン。怖れをなして去る人もいるが、それでも客が増えて来て、赤子連れの若夫婦もいる。
宿の雑記帳を見たら、先日ご一緒した日本(古の)青年が4日前に投宿したとあった。

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2006年5月16日 (火)

Camino26日目

Camino26日目

ムリアス着、19km、34千歩。昨夜の食事は昼に続いてイシドーロへ行った。最初に出してくれたサングリアが大変美味しかった。そしてオーダーを何も聞いて来ないと思ったら、グランドママが作ったという特製のトルティージャデパパタスを出してくれた。その美味しさといったら、これがトルティージャという感じだ。この先トルティージャはもう食べなくていいなどと話した。
今朝は朝日に押されて出発、二手の道を小鳥や蛙の鳴き声が聞こえる丘の道を選んだ。久しぶりに車の音が聞こえない山道だ。お花畑で大の字になりたい所だが、どこに羊などのウンチがあるか分からない。
レオンに続いて都会であるアストロガに着いた。通りの市場は果物などが安い。ガウディが作ったという建物(司祭館)を見たが、贅沢この上なし。都会の宿は遠慮したいと先を進み、ムリアスまで来た。村は小さいが宿はドイツ語を話す女性が受けてくれたラスアグエダスという名。これから上りが続くので丁度良い場所だ。雑記帳には日本人の感想も書いてあって、どれも良い印象だ。特別に夕食も用意してくれると言う。
間もなくオセブレロの手前に1500mの最高峰を越えるのでここで良い休養を取ろうと思う。
写真は日本の駄菓子屋にもあるガチャガチャで1E、バルに置いてあるけど、村には子供を見ない。

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2006年5月15日 (月)

Camino25日目

Camino25日目

オルビゴ着、15km、24千歩。アストロガまでは一部山道で30kmあるので手前で宿を取る事にした。従い宿には昼前に着いてしまった。
昨夜はペペ叔父さんが作るパエジャが夕食、ビノも出た。今朝の食事には揚げたてのチュロスを出してくれた。
この所、教会の尖塔などに巣を作るコウノトリを毎日見るようになったが、今朝は十数羽も見てしまった。畑おこしをしているトラクターの側でミミズなど虫を食べているのであろう。飛ぶ姿は鶴に似て大変優雅だ。
昼食にイシドーロというバルに入ったら、店の雑記帳を持って来て、日本人が来ていると教えてくれた。鶴の折紙が貼ってあったり、愛という字の筆書きもあった。どなたも見知らぬ国の人にお世話になったとか、日本を意識するようにと書かれていた。
今日は朝から花火の音が聞こえ、雷か畑の鳥威しと思っていたら、教会の祝日なのであろうか、何か輿行列のような人出が見えた。

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2006年5月14日 (日)

Camino24日目

Camino24日目

マザリフェ着、22km、34千歩。歩き初めて500km近く歩き、残りが300kmを切るまでになった。二日間のホテル泊でリフレッシュしたので足元が軽く、正午過ぎには着いてしまった。今朝レオンを出るのに迷ってしまい、修道院を改造した豪華なホテルであるパラドールの前に来てやっと街道に乗ることが出来た。今日は街中を出るのに2時間程かかり、道は二手に分かれる。新しい畑の道を行ったが、雑草地ばかり。しかし小さな野草の花が綺麗だ。アカシヤ、オオデマリも咲いている。
途中でのんびりしたためであろう、同宿する顔ぶれが変って来て、見知らぬ人ばかりだ。
これから宿がなかったり、標高差があったりで区間設定が難しそう。まだ日時はあるので日に10km程であっても宿が確保される方を優先しようと思っている。

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Camino23日目(休日)

Camino23日目(休日)

今日は旅の折返として、スペインの初めての大都会であろうと、レオンの休日にすることにした。だいぶ暑さを感じて来たのでデパートで短パンにもなるズボンとサンダルを買い、不要になった衣類を日本へ送った。
お昼にとある教会に入ったら初聖体という日本なら元服であろうか娘さんの成長を祝う式に出る事が出来た。両親の嬉しい顔と成長の過程を見て来たのであろう神父さんの言葉が分からないけど伝わって来た。
午後はシェスタをし、夕方カテドラルへ行くと結婚式を丁度終えた所、参列者が多く地元の名士という感じだ。
夕食は20分も待ったパエジャだがとにかく美味しい。帰りに買ったイカナゴを揚げたのも美味しい。
今日は大変のんびりした休日でした。明日からは再び歩きが始まります。
写真はスーパーの買物カゴで車と引き手がついているものでかなり便利そうだ。

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2006年5月13日 (土)

Camino22日目

Camino22日目

レオン着、18km、29千歩。比較的短い距離なのだが、車の往来の多い車道で疲れた。町に入って矢印は二手に分かれ、我々は右手の旧市街に入った。
そして旅の疲れを癒すため巡礼宿ではなくモナスタリーが経営するホテルに二泊することにした。約一月ぶりのバスタブはなんとも気持ちがいい。
昨夜は宿の管理の悪さとフランス婆の調子の良さが重なってベッドトラブルが起きた。ハポンと聞こえどうも東洋人である我々に責をなすりつけている感じ。このままでは気が治まらないと、当事者に状況説明したら納得したようだった。
色々な国の人に会ってくると日本人の質の良さや堅実さが実に感じられる。先にご一緒した日本人男性は、宿の備忘録に、日本人男性JK参上!と書いておらたがそういう心意気が自然と湧いて来る。今回の旅は、日本人を意識する旅でもある。若者の愛国心を育てると法律を無為にいじくろうとする政治家がいるが、Caminoを歩かせれば自然と醸成されると思う。
でもスペインの食事は美味しい。

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2006年5月11日 (木)

Camino21日目

Camino21日目

マンシジャ着、26.5km、43千歩。スペインの都市名の読み方がわかりませんので、かなり適当に表記していますが、明日は良く知られているレオンに到着する予定です。
昨夜の宿は農家の納屋を改造したようで、壁は土壁で、夜中にトイレに起きたら全く真っ暗で手探りと感でやっとたどり着きました。土壁の家の様子は韓国の田舎で見たものに似ていると感じました。
サントドミンゴで会った調子のいいアイルランドの叔父さんはアメリカの男性を連れにしていたが、今日久しぶりに再会したら連れが(お歳をめした)フランス娘に替わっていました。その人の人生を垣間見る感じ。現実から逃避したいと、また別の人生と出会いたいと思ってCaminoを歩いている人もいるのかもしれません。それにしても先に宿に着いた人が仲間や同国人のためにベッドを先に確保してしまうのは困ったものです。

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Camino20日目

Camino20日目

ベルシアノス着、24km、37千歩。昨夜の宿はテンプル騎士団ゆかりと聞いていたが、ただの宿だった。平ベッドで食事は7Eだから良しとしよう。
今日も快晴で空の青さが格別綺麗だった。道の脇にトカゲを見つけた。体長20cm程か緑色で、やや肥った感じ。
今日の宿は本にはプアーと書いてあった通り、農家の納屋を改造した感じだが趣はすごくある。今バルでビールを飲みながらこれを入力しているのだが、村の老人達が元気に声をあげて賭け事をしている。唯一の社交場なのであろう。
今日は小さな鉄道駅があるサァグーンという町を通ったが、急げば30分程で町はずれに来る程の大きさなのだ。
だんだん足の疲労がたまり、20kmを越える一日の歩きはきつくなって来た。先日ご一緒した男性は日に30kmを歩くと言っておられたが、今どうしているだろう。下手な英語でも色々な国の人の笑顔に接しているのもいいもんだと、遅い言い訳を勝手に思っている。

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2006年5月 9日 (火)

Camino19日目

Camino19日目

テラディロス着、27km、39千歩。昨日はバルのPCで皆さんからのコメントを見させていただきました。有難うございます。昨日はピレーネで一緒に歩いたバーバラに久しぶりに会ったが肩を痛めて病院へ行くという。同室したフランス娘は昨夜食べた物をもどしてしまい今日は出発できなかった。宿には足の爪をはがしてしまった叔父さんもいた。幸運にも我々は怪我もなくこれまで歩けている。見る資料によって違うが、これまで400km近く歩いたであろう、旧東海道であれば京都三条まで来た感じ。これから日本橋までの復路に入ってきた感じかもしれない。今日は朝7時から歩きはじめたが、17km石ころばかりの道に往生した。平な見通しの良い道でトイレする場所もなく、唯一あった無人の納屋の裏にはその形跡がいくつもあった。2mの距離でも逃げない小鳥の声が唯一の慰みだ。
今日の宿は昔巡礼者を守ったテンプル騎士団ゆかりらしいが、設備は大変良い。先日お別れした日本人男性2人は一昨日に、さらにたかこさんという日本の女性もここに宿泊された由。シアトルから来た若い子によれば、グレイヘアで小柄だが足の早い人らしい。
写真は一輪車に荷物を乗せ、両側の持ち手を後に腰ベルトにつないでいた人、40km歩くと言っていたが何も背負っていない分、体への負担はなく長距離歩行は可能かもしれない。

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Camino18日目

Camino18日目

カリオン着、16km、27千歩。昼に到着したが、次の17kmの間村も店もないのでここに泊まることにし、クララ会という修道院が経営するアルベルゲを見つけた。あるフランス女性が家内を中国人と思い中国語で話してきた。5年仕事で滞在したと話せるらしく、少し話せる家内が応対。今日の道は村をつなぐ車道の脇で変化のない道であった。高度800mのためか晴れたものの冷たい風が吹き、指先は痛いし鼻水が出ぱなしだった。昨日泊まった所は管理人不在、バルで鍵を借りて開ける。泊まる人間は雑多で周囲にかまわず大声で話し高笑いする女性がいた。家内が注意するも向こうも抗戦。それでも気になったのか庭に出て行った。一昨日泊まったセントニコラスでは、日本人が何の目的でCaminoに来るのかと言っていたが、ここはやはり信仰を持つか、信仰について考える所であろうと思う。

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2006年5月 8日 (月)

Camino17日目

Camino17日目

プロバシオンデカンポス着、19km、30千歩。 昨夜はマルタ騎士団の代表であろうかイタリア人夫妻が来て夕食に同席、先立ちピルグリムの足を洗い無事な旅を祈る儀式があった。 しのぶさんというノーブルな日本人女性が手伝って行ったとも聞いた。 その中で日本人が何の目的でCaminoに来るのか分からないとも言っていた。 パウロ・コエーリョの本を読んで勝手な思い込みをしているのか、あるいはCaminoが自分を癒してくれるものと思っているのであろう。 どちらも否である。 まだ半分も来ていないのだが、色々な国の人と関わり、その心に触れながら自分の生き方を問い直すものだと少しずつ感じて来た。もし、Caminoが自分を癒してくれると幻想を持っていたら大変な間違いだ。 ここは人間の性(さが)が一番現れる所でもある。一人女性には露骨にセックスしようと迫る輩もいるらしいし、強盗に遭うこともあるらしい。

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2006年5月 7日 (日)

にわか気功教室

にわか気功教室

デンマークの幼稚園の先生をしているキャメーラに気功を伝授、ベントーサでも彼女には教えていた。夕方からは夕食作りの手伝いだ。

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Camino16日目

Camino16日目

イテロデカステジャ着、20km、30千歩。昨夜のアルベルゲはレストランを兼ねており食事は美味しいし親切だ。街中に入り右側がお薦めの宿。ボアデジャ28kmを目指し朝7時過ぎに出発、昨夜は雷雨で未明も雨。しかし朝霧が立つ快晴となった。初めは畑の道、車道になって遠くの山に城、そこがカストロヘリス。宿が多い。90mの急坂を一気に上って下りると再び畑道。昼過ぎに街道脇の宿に着く。電灯がない小さな宿だが雰囲気がいい。今日はここで午後をのんびりすることにした。一昨日別れた日本の男性は今朝ここを出発したと備忘録に残していた。

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2006年5月 5日 (金)

Camino15日目

オンタナス着、19km29千歩。昨夜泊まったアルベルゲは綺麗だが家主が口うるさい。夕朝食込みで22Eは少し高いが外には何もない。加え夕食時は雷を伴った雨。隣のドイツ女性は膝が痛いと二晩宿泊、家内が気功処置すると随分と和らいだと言う。軽井沢にオーラソーマの勉強に来てたことがあった。膝を癒す人を寄越して欲しいと祈っていた所に家内が現れたそうだ。今朝は一緒に出発したが早々にこの宿に着いていた。サントドミンゴで床に寝たためかダニにあちこち喰われてまだ痒い。様相はだんだんホームレスか傷痍軍人に似て来た。今日は2度の上りのほかは先が見えない平坦な道で見える物は緑の畑と石ころ。
だんだん湿度を感じるようになって来た。

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Camino14日目

Camino14日目

カルサダス着、11km、16千歩。70km離れたシロス修道院へタクシーで移動、平日のミサなのでグレゴリオ聖歌の規模は小さい、旧い回廊や薬草室、人体解剖図などを見た。昼にブルゴスに戻り再び歩き出した。昨日から曇天で夕方は雨だ。二日一緒した日本人男性は月末に帰国とこれからピッチをあげ日に30km歩くという。我々は20kmを標準に無理しないようにしたい。写真はエルシド。

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Camino13日目

Camino13日目

ブルゴス12時着、24km、32600歩。昨夜同宿した日本人のうちお一人はボストン在住で会話が堪能、同行中に色々情報を集められていた。今夜は別のアルベルゲに泊まり明日グレゴリオ聖歌で有名なシロス修道院に行く予定の由。こちらも考えていたがタクシーの場合相乗りすればお互いに助かると今日は行動を共にすると7時前に出発。アタプエルカからは急な上りだが30分程。クロスを見ると下りだ。その後は車の道、そしてトラックが行きかう幹線道路を2時間近く歩いてブルゴスに入った。アルベルゲは住宅地の一角で分かりにくい。ドネーションということで決まりが多い。カテドラルを見学、ダビンチの絵を2点見た。

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2006年5月 2日 (火)

Camino12日目

Camino12日目

昨夜泊まったアルベルゲの雑記帳に昨年9月木村さんという女性の方が一人歩いていると記してあったがやはり一人歩きは危険だ。昨日泊まったアルベルゲはシャワーはぬるいし床はきしむが気配りは大変良い。屋根のトップにはコウノトリの大きな巣があった。
今日はサンチャゴからローマまで2400km歩くというアイルランドの女性に会った。何ともすごい。オルテガのアルベルゲは良くないと頑張りアヘスまで歩いた。28km、43千歩。先を歩かれていた日本人男性と同宿となった。

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Camino11日目

Camino11日目

ベロラド2時着、23km、35千歩。車道に沿ったばかりでつまらない道だ。歩きだして3日目からは雨に遭わず昨日今日は雲一つない良い天気だが、この所野の花を見なくなった。丘を上ったり下ったり変化のない歩きだ。今朝は吐く息が白くなるほどの寒さだが午後の陽射は真夏。アイルランドのマイケル叔父さんはCaminoは年齢性別国籍など何もない。Simplicityが一番大事だと言っていた。明日は再び厳しい上りだ。今夜もワインを沢山飲んで熟睡しよう。

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2006年5月 1日 (月)

Camino10日目

Camino10日目

サントドミンゴ5時着。33km、48500歩。3時に到着した人でもベッドがない。30km以上歩いて来たと床の空きスペースにマットを置いてもらい、そこに寝ることになった。観光客が多くてホテルも満杯らしい。断られた人は更に先へ進んでいるのかもしれない。ツアー中の日本人に会った。カテドラルの鶏を見た。
後で分かったが床に寝る人はまだいた。これがリフュジリオ(避難所)なのだ。とにかく今日はワインを一杯飲んで休むことにしよう。

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2006年4月30日 (日)

Camino9日目

Camino9日目

ベントーサ着、16km、31千歩。ナヘラまでは30kmもあり昨日に続けて長丁場を歩くのは無理と今日は短い。 向こうに見える、あの町がベントーサだと一人合点して、別道を行ったら隣村のソーテスだと、迂回してしまった。 やはり黄色の矢印の指示通りに歩かなきゃだめだ。 ベントーサのアルベルゲは静かでいい。 今日はパン、チーズにヴィノ(ワイン)のささやかな夕食だ。750ccのヴィノが200円程、毎日飲まなきゃ損という感じだ。

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2006年4月29日 (土)

Camino8日目

Camino8日目

ログローニャ着、29km、48600歩。
大都市になると道は汚いし空気も埃っぽい。メルセデス伯母さんに開けてもらった12世紀の教会は簡素で素晴らしかったが、街中の絢爛豪華な教会はどこも同じだ。ベッドの割当間違いにアイルランドの好青年が助けてくれた。彼は日に50kmを歩いて来た由。フランスの好好爺、盲目の人、色な人がいる。パタタスデリオハはすごく美味しい。

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2006年4月28日 (金)

8日目の歩行開始

再び緑の畑の道。さっきアップしたイカの料理はカラマリス。コオロギのような虫の声が聞こえる。

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アルベルゲ

アルベルゲ

昨日食べたイカのカラスミ(訂正→カラマリス)はうまかった。
ズビリのアルベルゲは街に入り橋を渡ってすぐ右のインターネットと書かれたのがいいが収容が少ない。先の車道を越えた右は汚く管理が悪い。ここロスアルコスでは街中に入ってすぐ右にあるのは汚いらしい。教会と川の先右がきれいです。
トイレの数が少ないので朝早めに起きる工夫も。昨日は野糞もした。男も女も野原でトイレができないとカミーノは歩けない。

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2006年4月27日 (木)

Camino7日目

Camino7日目

ロスアルコス13時半着、22km、34千歩、今日は順調だ。ワイン工場脇の無料ワインは出なかった。丘を下り上ると集落が現れる情景の繰返し。小鳥の声に蛙が加わった。Windowsの基本壁紙のような緑の麦畑に青い空、そして白い雲がたなびく。今日は平坦で爽やかな風。歩き初めて一週間、だいぶ慣れて来た。歩行134km、残り距離640km。昨日のアルベルゲではフランス婆々がベッドを替わって欲しいと言って来た。離れたベッドだったので気持ち良く替えてあげたらトイレの側だった。怒り心頭だが後の祭。しかし家内はその上をいっている。受付へ行って英語話せるかと聞いて、少しという応えに、うるさくて寝れないと必死に言っていいベッドに替えてもらっていた。日本の女の方が優れてる。

旅行資金が残り少ないとカードキャッシングを使った。円両替が出来る所が殆どないので助かる。(後日補足→両替だと1Eが150円ほど、キャッシングは142円程なので単価は安い。 手数料がかかるが大変便利だ。 しかし利用限度額が設定されているので複数枚のカード携帯が必要)

 エステージャのアルベルゲ近くのバルの料理は高く美味しくない上に、ワインは別料金。今日はどんな食事を楽しめるだろうか?

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Camino速報6日目

Camino速報6日目

エステージャ着、22km、36000歩。今日は高速脇の道が多くてつまらない。畑で働く人を初めて見た。とにかく暑い。ローマン橋で再び日本人男性に会った。ザビエルが育ったハビエル城を見学して来た由、街道から離れているので行く余裕がなかった。日本人のツアーがいて声をかけたが我々ピルグリムには関心ないのかそそくさと行ってしまった。

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2006年4月26日 (水)

Camino速報5日目

Camino速報5日目

プエンテラレイナ15時着、24km、41千歩。朝6時半出発、真っ暗で人通りもない。牛追祭の街路をぬける。ナバラ大学の入口に巡礼証明を押すと日本語でも書いてあったが寄るには朝が早過ぎる。街中を出ると麦畑の間の上り、13kmほどすると風力発電の羽根があちこち回っている。上りはドロ道、尾根では強風に飛ばされそう。そして下りは石ころ道。歩きだして17kmのウテルガでやっとカフェがあった。ここの生ハムをはさんだサンドが美味しかった。昼まで鼻水が出るほど寒かったが、午後からは一転陽がさして暑いほど。

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2006年4月25日 (火)

Camino速報4日目

Camino速報4日目

パンプローナ着、ピレーネを越えたものの疲れと共にザックの重さが肩に食い込んで来た。ポストを探し再び荷物5kgを日本に返した。今日は5kmしか歩かずカテドラルを見学。ヘミングウエイがお茶を飲んだというバルで豪華な昼食。3時過ぎに街道脇のアルベルゲに入ったが100人収容なのにトイレとシャワーは一緒で集中するとなかなか空かない。不便この上なし。英気を養しなったし荷も軽くなったので明日は順調に歩けるであろう。

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2006年4月24日 (月)

Camino速報3日目

Camino速報3日目

皆出発が早い、またビリの8時の旅立ちだ。昨日夕食を一緒したイタリア人のご夫婦は素敵だったが、もう会える機会はない。 ララソーニアのカフェで小休止。昨日ほどではないがドロ道が続く。三日目となると疲労がたまり歩みは遅い。パンプローナに届かず今日はアレ泊。距離16kmだが歩数は34千、20km以上は歩いた感じ。どうしても地図の距離は信じられない。

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2006年4月23日 (日)

カミーノ速報二日目

カミーノ速報二日目

ズビリ5時着、22kmとなっているが本当だろうか?万歩計は42000。途中2002年に事故に遭われた日本の方の碑があった。ピレーネで無理をされたのであろう。昨日の体験からも天候の急変をよく考えておくべきと思う。

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2006年4月22日 (土)

カミーノ速報1日目

カミーノ速報1日目

21日8時サンジャンを出発、ほどなく四国巡礼で知り合ったという初老の日本人男性2人に会い彼等はドンドン行く。ピレーネの道は分かりやすいが風が強い。晴れだからいいが悪い天気であれば遭難も考えられる。27キロのうち残り4キロがやっと下りだ。最後は雨と雹にあたられた。到着夕方6時半。

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2006年4月20日 (木)

サンチャンドピエドボー行はまだ出ない

サンチャンドピエドボー行はまだ出ない

不精髭がこんなになりました。最後の電車は25分も過ぎたのにバイオンヌに止まったまま。今日からいよいよアルベルゲ泊まりになります。

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サンチャンドピエドボーへ

サンチャンドピエドボーへ

今日はルルドを発ちいよいよカミーノの出発地に向かう。乗り換えるバイオンヌ行きは一本のみ。切符を買うのに30分以上は待つ。いつもゆとりが必要な国だ。 写真は改札代りの日付マシン。

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