2008年6月21日 (土)

モアサック到着の葉書が届く

200806moissac  先月、フランスから電話があったと記したが、GR65を3分割して歩いているフランスのカップルからモアサックに到着したと絵葉書が届いた。 「全て順調」のようなことを書いていたので、天候は悪くなかったのかもしれない。 スペインの場所によっては洪水が起きるほど雨が降っているとニュースで見ていたので気になっていた。

彼らは、配管工と肉屋をリタイアして、毎年一週間と日切り打ちをしているが、堅実な生活が垣間見えて考えさせられる所が多かった。 来年はサンジャンピエドポーまで歩くのであろうが、多くのフランス人と同じでバカンスで歩いている彼らはスペインのフランス道まで歩くかは分からない。

 20070615275 昨年GR65を歩いた時、モアサックでは一日余分に滞在して、カテドラルや町中の見学をしたが、聖堂の片隅にあった木彫で素晴らしいものがあった。 一つは幼子を抱えたマリアが馬に乗りヨゼフが馬を引いているもの。 もう一つは、十字架から下ろされたキリストを優しい眼差しで見るマリアの姿。 ともに暗い場所なのできちんとは撮れなかったが、印刷して随分と皆に差し上げた。

 この写真は、カテドラルの裏手にあった民族博物館のような所で撮ったもの。 コンポステーラ1976年と表示されている。

 先日、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のことを書いたが、色々なリンクを辿っている中で、ミクシーの中にもいくつか巡礼路に関連したグループがあることが分かり、その掲示を読ませてもらったが、グループメンバーになってまで情報交換をする気にはなれなかった。

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2008年6月16日 (月)

コンポステーラから葉書が届く

200806compostela1 昨年、GR65の後半で時折同道し、英語が話せると通訳してもらったパリジェンヌから、今年はフランス道を歩いてコンポステーラに到着したと絵葉書を戴いた。

 彼女のご主人はオイルプラントの仕事についていたと、日本に来たこともあったと言っていたが、殆どは中東に滞在していたようだ。 彼女はボランティアで英会話を教えていたと、フランス語が飛び交うジットで通訳してもらい、随分と助けてもらった。 そして、歩き終えてサンジャンを去る時も同じ列車に乗ってバイオンヌまで一緒に向かった。

200806compostela2 日本人よりは老けてみえるのだが、たぶん彼女は70歳近いと思う。 背が低くて丸っこい、日本人の体型に近く、それでも今年も頑張って歩いたようだ。

ただ、今年は雨が多かったように葉書には書いてある。 

さて、スペインのカミーノ情報はながらくスパスパが伝えていたが、最近会員(有料)制の日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会という組織が出来たようだ。 有名人を賛同者に加えているようだが、こういう組織の運営が順調に運ばれるのか、また会員に希望する情報が的確に与えられるのか、良くは分からない。 単なるツーリストに近いような組織になったら本末転倒であろう。 手取り足取りの情報ではなく、手探りのカミーノ体験こそが体験者それぞれの心に残るカミーノだと思う。 まだ2度のカミーノ体験しかないが、不安な中で色々な国の人々と関わりあうことこそがサンチャゴ巡礼であろう。 友の会の運営をしばらく注視していようと思う。

まだまだ、ル・ピューイからジュネーブに遡る道や、スペインの北の道など、関心のある道はあるので、1~2年のうちには少なくともあと1回は歩いてみようと思っている。

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2008年2月18日 (月)

カミーノ仲間から動画映像が届く

20080218lulu1 昨年5~6月に、ルピューイ・アン・バレーからサンジャン・ピエド・ポーまでGR65を歩いた時に、後半の一時期同道してくれたフランスのカミーノ仲間から動画映像を収録したDVDが届いた。

何でも撮ろうとレンズの方向をあちこち回すので、目がくらくらするような映像のうえ、解説が全てフランス語なので分かり難いのだが、それでも一緒に歩いた時の状況を思い出させてくれるので楽しい。

彼らは、サンジャンからロンセス・バージェスまでのピレーネ越えをしてから車でサンジャンに戻り、奥さんはそのまま自宅へ帰り、ご主人と弟さんは北の道をサンチャゴに向けて歩いていたのであった。 その北の道の映像もあるのだが、どこがどこだか分からず、次回のカミーノには参考にならないようで、それが少し残念である。

20080218lulu2 彼らがフィニステーレに到着した時、絵葉書を送ってくれたことは、以前の日記に記した。

さて、彼らの息子さんはフランスの大会社に勤務し、現在東京に駐在し、虎ノ門に住んでいるとのこと。 そして、この7月に日本にやって来るとのことである。 息子さんは英語を理解するらしいが、彼らはフランス語だけ。 我々はフランス語を解さないし、英語力もかなり心もとない。 食事をしようと誘われているし、カミーノのお返しの意味でも東京案内などしなければならないであろう。 こちらも東京にいる息子を引っ張り出して、意思疎通の仲介役をしてもらおうと思う。

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2007年9月28日 (金)

サンジャンでお会いしたお嬢さんからメールが届く

20070629004 さる6月下旬、GR65を歩きとおしてサンジャンに到着した時にお会いした、日本のお嬢さんからメールが届いた。 信仰の道としてのカミーノをテーマに大学院に通われていると、今回はアルベルゲでボランティアをした後に、北(ノルテ)の道を歩くと仰っていた。 

 今回が3度目か4度目でだいぶ歩きなれているようで、お会いした時には、靴を機内かどこかに置き忘れたけど、何とかなるでしょうと楽観しておられた。 たぶん7月中旬から8月中旬にかけて歩かれたのでしょうが、北の道は美しい風景に溢れているけども、巡礼の道という片鱗は感じられなかったとのこと。 それでも、盲目のご夫婦の巡礼者と数日一緒に歩き、強く印象になるものがあったと記されていた。

 我々がサンジャンを離れる際、電車が出るまでのわずかな時間の中で、いろいろお話をしたのですが、写真を撮るのは失礼かと思い撮っていなかった。 そこで撮りためたものを見ていたら、ピレーネ越えをするため、それまで一緒に歩いたフランスのご夫婦達と別れる際の写真を見たら、遠くに写っていた。 機会があれば、そのYさんに北の道のことをうかがいたい。 宿と食の苦労があまりないようなら、来年再び歩いてもいいかなと思っている。

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2007年9月12日 (水)

カミーノ仲間からCDが届いた

Pilgrmagetosantiago1  カミーノ仲間と言うより、いろいろ手助けしていただいたフランスの方からCDが届いた。

John Eliot Gardiner指揮による、The Monteverdi Choirという合唱団が歌うもので、CDのタイトルはPilgrimage to Santiago。

 皆、歩き終えてしばらくは感慨が残っているが、日にちの経過とともに、過去のものになってしまうであろう。 我々も、昨年のカミーノフランセ、今年のGR65と、通り過ぎた町や村の名前も思い出せないほどになってしまった。

そんな時にこんな頂き物をするのは何とも嬉しい。

Pilgrmagetosantiago2

 CDの最初の曲は、Dum Pater Familias。 父(神)の家族という意味だろうか。

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2007年8月11日 (土)

Finisterreから葉書が届く

 先日、NHKハイビジョンで放送した巡礼路の街風景のうち、レオンとサンティアゴのものを知人に見せてもらったが、観光客の眼から写した映像が殆どで、巡礼者の視点とは随分異なると思った。 番組制作者は、巡礼を単なる観光の一つとして捉えているのであろう。 そうは言っても、ホタフメイロの動く様はああいう番組でないと見ることができないので、まぁ一応見る価値はあると言っておこう。

 サンティアゴのパラドールで、巡礼者が無料で食事が取れる映像が映っていたが、各回10名限りで、我々が行った時は家内が10番目、自分が11番目で結局諦めてしまった。 体験してみたいと思う人は、巡礼事務所の先に、パウチやコピーなどをしてくれるフォトショップがあるので、ここで巡礼証明書のコピーを事前に取っておく。 パラドールの左下・車庫の入口(前は警察署の建物)で待つと、そのうち職員がそのコピーを受け取って、中へと案内してくれる。 映像で見たとおり、コックのまかない料理なので、レストランで食べられるフルコースをイメージしてはいけない。 ただ、こういう所に限って、場を仕切る輩が来て、騒いでいるうちにバッグを失敬していくことがあるので、注意が必要だ。

200708fromfinisterre1  さて、今回、GR65を二週間近く一緒に歩いたフランス人が、続けてノルテの道を歩くと言っていたが、昨日、フィニステーレに終着したと、絵葉書が届いた。 北側の道は、未だ歩いたことがないので、様子を聞きたい所だが、彼らはフランス語しか話さない。 同道している時は、身振り手振りでどうにかなる意思疎通も、電話や手紙となると全く困難である。

 と言いながらも、息子さんが東京に駐在していると、来年には日本に遊びに来るというので、今からフランス語の語彙を増やさなければいけない。

200708fromfinisterre2

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2007年8月 8日 (水)

GR65ガイドブック その4

 NHKのハイビジョン放送でコンポステーラへの道を特集すると知人から知らされたが、月曜日から放送されたものはカミーノの一地点にある町を紹介しているもの。 タイトルも「世界ふれあい街歩き」と、たまたまカミーノ沿いの街の映像を集めただけで、これから巡礼しようとする人に役立つものではないようだ。

 さて、GR65から戻って1ヶ月近くも経つと、だんだん歩いていた時の感慨が過去のものになりつつあるが、お世話になった方へメールを送ったり、ささやかな気持ちの品をEMS便で送ったり、まだまだ余韻は続いている。

 GR65のガイドブックの最後だが、これは一番オーソドックスというか、絵も地図もない文字だけのCSJ(Confraternity of Saint James)発行のものである。

Gr65guide41 Gr65guide42

前回、この冊子を取り寄せた時、封書で届いたのだが、封緘表示の所に日本語の文章が書かれていた。 何が書いてあったか忘れたが、それだけ日本からの注文が多いのか、あるいは日本語を学んだスタッフがいるのであろう。Gr65guide43

 これは、薄い小冊子で軽く持ち運びにもいいのだが、トポガイドのような地図がないとどうしても不安を感じてしまう。 サイトからイギリスへ直接注文できるので事前の下調べにはいい。 ただ、地名などが公でないものもあるので注意が必要だ。 たとえば、エオーズの先に、Ferme de Peyretという所があるのだが、これはどうも「ペイレという名の農家」という意味らしく、そんな表示はどこにもない。(あえて言えば、左側にボロ車が捨てられていた)  ここを右に折れて宿に向かうはずが、ずっと通り過ぎてから気がついたことがあった。 赤白のサインばかりでなく、宿を案内するような木に貼り付けてある紙ですら、ルートや場所の確認に利用した方が良い。 そのあたりは、カミーノフランセとは随分と違う。

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2007年7月29日 (日)

GR65ガイドブック その3(続き)

トポガイドは3分冊になっていると既に記したが、その2冊目と3冊目の表示イメージを残そう。 2冊目には、ロカマドールからラ・ロミユーの道の説明もある。

Gr65guide321 Gr65guide322 Gr65guide331 Gr65guide332

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2007年7月26日 (木)

GR65ガイドブック その3

 現役を退いてからとんとご無沙汰の日本経済新聞に、「還暦カミーノ」(正しいタイトルは不詳)という記事がシリーズで掲載されると、息子から電話が入った。 団塊の世代の人達が、人とは少し違った旅をしたいと、カミーノに関心を持つであろうことは容易に想像される。 だが、カミーノを歩く意味を考え、国や世代を越えた心の交わりを忘れないことを是非望みたい。

Gr65guide311 Gr65guide312 さて、GR65のガイドブックの三冊目で、トポガイドと呼ばれるものである。
 このガイドは三分冊となっており、1.Le Puy - Figeac ,2.Figeac -Moissac ,3.Moissac - Roncevauxとなっている。
 このガイドの特長は、これまでに掲載したガイドより地図が大変詳しいということです。 村や集落の名、車道の番号などが書いてあるので、自分が通過している所が分かるし、別ルート(バリアント)も書いてあるので、ショートカットする場合などにも役立つ。
 前二冊と同様にフランス語なので、詳細な説明は分からず、もっぱら地図と地名、レストランやショップの有無などの確認に使った。

Gr65guide34 Gr65guide35

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2007年7月21日 (土)

GR65ガイドブック その2

 チリにもサンチャゴがあるということで、本ブログタイトルにCompostelaを追加し、正しく表示することにした。

Gr65guide21 Gr65guide22

 さて、GR65のルートを案内するガイドブックの紹介記事の2つめである。

 このMiam Miam Dodoのタイトルの意味は、「よく食べて、おやすみね!」という幼児語だとのこと。
 殆どの方が、この本を頼りに歩かれているらしい。 裏表紙に数ヶ国語で説明があり、更にページの最後に、カミーノで使われる言葉(単語)の対訳が掲載されている。 ただ、どれだけ役に立つか分からない。

 本書の中には、標準の歩行Planとしてルート図と宿泊場所が掲載されている。 車道との交差地点や宿や店のある場所などの表示もあるが、概略図なので今一つ安心できない。 また、ジットで英語が通じる所にはイギリス国旗がつくなど参考になるが、どれがルート上にあるのか、ルートからどれだけ離れているのか分からない。

 また、掲載されているジットの中で閉鎖している所もあったので、全部を信用するわけにはいかないようだ。

Gr65guide23 Gr65guide24

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2007年7月19日 (木)

GR65ガイドブック その1

Gr65guide11 Gr65guide12

 GR65を歩きはじめる前にリヨンに立ち寄ったが、街中を見学している時に偶然出会った教会関係の書店で、miam miam dodoを購入した。 しかし、地図が大雑把に書かれており、今ひとつ安心できずに、サンジャンピエドポーのカテドラル売店で買ったのが、このガイドブックである。

 この出版社は、これ以外にも、
Le chemin de Saint-Jacques en Espagne
chemins de Saint-Jacques au Pays basque
Le Chemin d'Arles
Le chemin de Vezelay
Le chemin de Paris et de Tours
Le chemin du Piemont pyreneen
Le chemin Cotier
等と、コンポステーラへの種々のカミーノを案内する本を出している。

Gr65guide13Gr65guide14 中を開くと、左頁にジットなどの宿泊場所の案内が書かれ、右頁に歩行ルートの概略図が載っている。

 そして、真中に歴史的な建造物などの説明をしているようだが、フランス語なので内容は分からない。

 フランス語が分かれば、このガイドでも十分であろう。

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2007年7月16日 (月)

コンクにて

20070603195  GR65をルピューイ・アンバレーから歩き出して、200kmほどの所にコンクという街がある。

 谷あいにある所謂寺町なのだが、高野山などとは比較にならないほど小さい。 しかし、ロマネスク様の修道院の建物は立派だし、こんな傾斜地によくも造ったものだと感心してしまう。 入口に刻まれた最後の審判を示すタンパン(上部にある半円形の彫刻)や聖サン・フォワの聖遺骨を納めた黄金の聖女像など、見るものは多い。

200706ultreia1

 聖堂の中を散策すると、こんなカードが置かれており、自由にもらえるし配布もしている。

 以前、ウルトレーヤという記事を残したことがあるが、そのチャントからのもので、裏面には次の歌詞が印刷されていた。

200706ultreia2

 毎朝8時から行われているというミサの中では聞こえなかったが、夜9時半から30分行われるオルガン演奏の時に聞くことができた。

 長い距離を歩いてきて、また明日歩かなければと早く休みたい所であろうが、このオルガン演奏を逃すのは勿体ない。 演奏中、5Eを払って上部の回廊を見学できるが、この見学よりむしろ、静かに演奏を聴く方が良いと思う。

 なお、このオルガン演奏の前にも、聖堂の片隅でピアノ演奏があるが、これもいい。 我々が行った時は、ドイツからの巡礼者がドイツの民謡であろうか3人で歌っていたが、なかなか良い雰囲気であった。

そこで、コンクに行かれることがあったら、これらの演奏を逃してはならないということと、売店に置いてある、次の2つのCDを買うことを是非薦める。 他の宗教都市でもCDを買ったが、コンクの物が一番良かった。

Conques1 Conques4

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2007年7月15日 (日)

英語版のカミーノフランセ・ガイドブック

 サンジャンピエドポーの巡礼事務所で受け付けた日本人巡礼者の昨年の人数は192名だと表示されていた。 年毎の状況は分からないが、やはりここに来る日本人の数は増えていることであろう。

 しかし、日本からは、なかなか事前にルートを知る手立てがない。 初め、イギリスのConfraternity of Saint Jamesから小冊子を取り寄せたが、これは全て文字表示で、大雑把な距離数は書かれてあるが、ルートなどの絵図がない。 そこでスペイン書房からスペイン語版のガイドブックを購入したが、スペイン語は分からないし持ち歩くのは重いので、ルート図だけをパソコンに取り込み印刷して、昨年のカミーノでは利用した。

 今回、Miam Miam Dodoのカミーノフランセ版があるのを知ったが、フランス語だし既に終わっているので買わなかったが、別に英語版のガイドブックを見つけた。 見つけたのは、ルピューイアンバレーのカテドラル内の売店で、他の街で見ることはなかった。

200705rother1  スポーツ関係の出版をしている会社のものらしく、横12cm位x縦16cm位 厚さ1cmの大きさで、片手で持つと少し重さを感じるが、他のガイドブックに較べれば軽いと思う。

http://www.rother.de/index.htmというサイトがあるので、トップを開き、上部のイギリス国旗(英語版)を選ぶと出版物一覧が表示される。 その中のCamino de Santiagoを選ぶと概要を知ることが出来る。 通販サイトになっているが海外から注文が可能かは調べていない。

 次の街までの距離や高度、そして所要時間が表示されているので分かりやすいし、とにかく英語なので時間をかければ理解が出来る。 アルベルゲの一覧はないが有無の表示はあるので特段困ることはないだろう。

200705rother2  本書の初めの方に、サンチャゴの道の概要説明があるのだが、その中にこんな写真が載っている。

 菅笠に白装束の方を見ると、どうも四国のお遍路さんの姿ではないかと思えて来る。 背中には「南無大師遍照金剛」と書かれているのであろうか、お遍路さんのことは分からないが、右手に持っている手提げだけで歩かれたとしたら、実にスゴイと思う。

200705rother3  さて、この本のあるページを参考に載せてみよう。 実に分かりやすく書かれていると思う。 たぶんこの1冊で十分ではないかと思える。

 どこかの洋書屋さんで輸入販売してくれたら、これから歩こうとする方々への動機付けにもなろう。

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2007年7月14日 (土)

GR65上でのインターネット接続

 カミーノフランセでは、ロンセスバージェスのバルなど初めの頃はインターネット接続可能なPCがあっても、日本語は文字化けすることが多かった。 しかし、歩いているうちに、どこのバルでも難なく日本語サイトを見られた記憶がある。

 さて、GR65ではどうだったかと言うと、基本的にスペインの道より田舎が多く、PCそのものがなかったり、あっても文字化けすることが多かった。 そこで、今回、PCが使えた状況を整理してみた。

まず日本語が表示できた所から
5/24 ルピューイ(ツーリスモ内のPCで確か無料)
5/25 サンプリバダリエ(宿の管理人用PCを使わせてもらった)
5/28 オーモン・オーブラック(食料品店で15分0.5E、買い物したら無料になった)
6/ 4 コンク(ツーリスモで有料)
6/11 カオール(泊ったYHのPCは日本語表示不可。カテドラル横のインターネットカフェで。)
6/17 レクトゥール(奥さんの個人用PCを使わせてくれた)
6/24 カンバラ(息子さんのPCを使わせてくれた)
6/28 サンジャンピエドポー(巡礼事務所のPCは日本語表示不可。駅前のバルの奥にある有料PCで)

そして、使えなかったのが、
6/ 7 フィジャック(PCショップを見つけたが、昼休み直前で試せなかった。)
6/15 モアサック(インターネットカフェとレンタルビデオ店の2店を見つけたが、空いていたインターネットカフェは日本語表示不可)
他に、プリペイドカードを購入して、ホテルなどに置いてあるPCを使う方法があったが、日本語表示が可能か分からないので使わなかった。(それも1~2箇所)

どちらにしても、パソコンとかインターネットとは縁遠いのがGR65と考えた方がいいかも。 今回使えた中には随分と個人用PCが含まれている。 使えたPCの中でも、日本語変換できないのは仕方ないとして、フランスのPCのキーボードには面食らった。 配列が随分とちがうのでアドレス入力でさえ、ブラインドタッチが出来ずに結構難儀してしまった。 その点、ロンドンに渡ってからは随分と楽であった。

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2007年7月11日 (水)

GR65から帰りました

 昨年のカミーノ・フランセ(フランス道)に続いて、今年5月25日からルピューイ・サンジャンピエドポー間を33日間かけて、夫婦で歩き終え、イギリスで所用を済ませて、このほどやっと日本へ戻ってまいりました。

 道中、携帯電話から状況をお伝えして来ましたが、GR65と名づけられた、この740kmの道は巡礼として歩くというより、むしろスポーツやレクレーションとしてコンクとかモアサックまでを歩くフランス人の姿が多かったです。 そのため、巡礼者はその中に隠れてしまって、なかなか見えて来ませんでした。 スポーツの人達が終わるモアサック以降、それもサンジャンに近づくにしたがい、ジュネーブから歩いてコンポステーラへ向かう女性などの姿がやっと見えて来ました。

続きを読む "GR65から帰りました"

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2007年4月19日 (木)

フランス語の聖歌を楽しむ

 フランス語は、小鳥のさえずりのような口先でちょこちょこと五月蝿く喋っているようで、あまりいい感じを持っていなかった。 第二外国語にドイツ語を選んだように、その印象は若い時から変わっていなかった。 しかし、5年ほど前に、家内がカミーノをバスで辿った時、ある修道院で購入したAlfonso Xというグレゴリオ(?)聖歌のCDを聞くようになってから、フランス語に少し親しみを感じるようになってきた。

 そして、昨年フランス道を歩いてから色々機会があり、ラテン語やフランス語の数枚の聖歌CDを聞くようになった。 その中で一番気に入ったのが、Cloches du Prieureという曲なのだが、当然ラテン語かフランス語なので意味は全く分からない。

 何回か聞いているうちに、どうも旋律に覚えがあり、所蔵CD棚を探してみた。 そこで見つけたのがノルウエーの女性歌手シセルのアルバムであった。Sissel1

 シセルのCDは、リレハンメルの冬季オリンピックの式典で聞いてから気に入って、色々集めてこれまでも聞いていた。

 この写真にあるように、The Best of SISSELというアルバムの第2曲目に同じメロディーがあったのである。

 曲のタイトルは、「Alma Redemtoris (You Mild Mother) 聖母を待ちながら」。 そのさわりの部分だけ、ここに残してみよう。 これだけ聞いても、なかなか良い曲であり、良い歌声であると思えることであろう。

 このCDに次の解説が載っていた。

ラテン語で歌うグレゴリ聖歌でクリスマスの1週間前に歌われる。 通常はユニゾンで歌う曲をピアニストのペール・コルスタがシセルのためにアレンジした作品。 94年の初来日ステージでも歌われ、厳かで光輝くようなムードを持つ楽曲がシセルの歌でさらに輝きを増していた。 韓国では電気メーカーのテレビCM音楽として使われた。

Alma Rdedemtoris Mater,
quae pervia caeli porta manes,
Et stella maris,
succurre cadenti
surgere qui curat populo :
Tu quae genuisti, natura mitante
tuum sanctum Genitorem :
Virgo prius ac posterius,
Gabrielis ab ore sumens illud Ave
peccatorum miserere

repeteres fra : "surgere que curat..."

救い主を育てた母、
開かれた天の門、
光り輝く海の星、
倒れる者に走り寄り、
力づけてくださるかた。
すべてのものがたたえる中で、
造り主を生んだかた。
ガブリエルからことばを受けた
 とわの乙女よ、
罪深いわれらのためにいのりたまえ。

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2007年4月 9日 (月)

コンクCDから

 この所、お借りした Conque CDをよく聞いているのだが、これには以前ポストしたウルトレーヤに加え、カミーノを歩く巡礼者の足音とか、パイプオルガンの演奏曲が収録されている。

 その中で、Les pelerins sont deja partis という曲もいい。 タイトルの意味は全く分からず、同じ旋律が繰り返される6分余りの単調な曲なのだが、これを聴いていると、心が沸き立つというか頑張って再びカミーノに立ちたいという逸る気持ちになってしまう。

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2007年3月12日 (月)

サンジャックのブリーフィング続き

20060517066 昨日に続いて、映画「サンジャックへの道(原題:サンジャック...メッカ)」のスクリーンで見た場面から、自分が写した写真とを見比べてみた。 昨日も書いたように、映画では場所が特定できるような写し方は殆どしていなかった。

 これは、野犬がたくさんいると云われていた廃村フォンセバトンの殺風景な路に立つ十字架。 現在は放し飼いの犬はほとんどいなかったし、アルベルゲとバルがあるということでは、もう廃村ではない。

 映画では、この十字架の横で座り込んだ場面が一瞬だがあった。 この横にスイス人が経営しているバルがあって、とにかくシチュー(肉)が美味しいのだが、そんな映像は当然写らない。

 手前に民営、先に公営のアルベリーゲがあって、先着順に開くまで待つ行列があった。

20060517088

 この写真は、しばらく坂を登ってから来る、イラゴ峠に立つ鉄の十字架

 電柱の先に小さな十字架があるのだが、結構長い(高い)。 映画でも、電柱の根元の小山に石を運ぶような場面があった。 旗か布切れか、随分とデコレーションされていたが、我々が実際に見た時は、小銭が柱の割れ目に差してある程度のわずかなものであった。

20060517106  この峠を少し下った所にあるのが、マンハリンのアルベリゲ(むしろレフリージオ)である。

 山小屋のようなベッドに、トイレは仮設のボットン。 シャワーは、岩から湧き出る水にタオルを濡らして拭くだけ。 それも巡礼路のすぐ下。

 映画では、ここの鐘の音とともに、黒ふちのメガネをかけたブラジル人のトマスさんが、表情を一つも変えずに写っていた。

20060527081

 この後、映画では240kmもショートカットし、モンテドゴゾに到着。

 ここで鼾に悩まされた3人連れに遭遇し、逃げ惑うのだが、ここのアルベルゲは近代的な建物が兵舎のように沢山並んでいて大きい施設だ。 実際にはコンポステーラが目の前だと泊まらない人も多く、その方が巡礼事務所での混雑を避けることができる。 通常は、ここを朝出発し巡礼事務所で証明書を受けてから、12時のミサでポタフメイロを見て、巡礼を終わらすというのが普通のパターンらしい。

 巡礼事務所があるビルの二階へ上がる階段、証明書の発行依頼をした後は、何とパラドールに泊まると映画はなっていた。 我々はそんな高価な所には泊まれないし、実際には数ヶ月前に予約しないと泊まれないらしい。 カテドラルでのポタフメイロを眼で追いかける場面があったが、これはミサの最後に行われる。 映画ではミサなどの宗教的儀式も全て省いていた。

20060530032

 映画では、多くの巡礼者と同じように、サンチャゴから海辺のフィステラへバスで移動するのだが、その理由は何も述べていない。 フィステラの砂浜で1500kmを歩き通した充実感に酔いしれている所に、一人の青年に母親の死が告げられる。

 その砂浜は、こんなにも風光明媚な所なのに、映画では狭い海岸だけしか写っていなかった。

20060530080
 フィステラから4kmほど歩くとフィニステーレの岬の突端にたどり着く。 昔の巡礼者はここで身につけている物を崖下に投げ落とす(虫のついた衣服を焼く?)ということであったが、現代ではそんなことはない。

 ここから見る大西洋に沈む夕日は素晴らしいのだが、映画ではそんな場面もなく、フランスに戻った3人は、共に母親が暮らしていた邸宅を訪ね、そしてそれぞれの家へ帰って行く様子を、亡くなった母親が見送る。 3人それぞれの普段の生活が始まる所で映画は終わった。

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2007年3月11日 (日)

映画サンジャックの場面ブリーフィング

 今年、ルピューイ ~ サンジャン間を歩こうと予定を立てているので、映画「サンジャックへの道」は、その巡礼路の姿が見られるのではと随分と期待していた。 しかし、残念ながら山道や草原ばかりで、場所を特定できる映像はなかった。 ただ、昨年歩いた区間で記憶に残っているものが数多く見られ懐かしさを憶えた。 そこで、その場所の写真をここに残すことにした。

20060421004

 映画では、ルピューイから750kmを歩いてサンジャンピエドポーへ到着するのだが、ここでガイドから、遺言状に記されたのはここまでだと云われ、家庭を持つ二人は道を戻ろうとする。 その場面が、この場所だと思う。 坂道の谷底のような場所で、教会横のこの門はノートルダム門と言うらしい。

 この門をくぐると橋があり、坂道を登って旧市街を出て、ピレーネへの本格的な山坂となっていく。

20060421008  農家の家並みを過ぎて、オント村に来る所までは緑の美しい景色が続く。

 

20060421025

 映画では、この道が遠くくねくねと登っていくように見られたが、手元にはこんな写真しかなかった。 これがナポレオン道なのだが、車でも十分に通れる幅がある。

 まだまだ、ここは低い所。 高度が高くなると冷たい風が吹いて、結構体温も奪われる厳しい道だ。

20060421028   舗装路を離れる所に十字架が立っている。 Cruz Thibaultと云うらしいが、日本式の呼び名が分からない。

 ここから下草が生えている道を行くのだが、石で組まれた緊急避難場所の洞穴があったりする。

 時に樹木の間を歩くが、それは一時でガレキ場から峠に至る。

 ロンセスバージェス(ロンセスバイエス)の修道院で、アラーの神を信じる二人の宿泊を拒絶されるが、実際にはこういうトラブルはない(はず)。 映画では、1時間歩けばホテルがあると云っていたが、そこがヘミングウエイがよく釣りをしたブルゲーテ村であろう。

20060506071

 カストロヘリスの街を過ぎて川を渡り、比較的急な坂道を上り、峠のような所を通るが、その下り道のような場所が出たと思う。 緑一色の中にくねくねと巡礼路が長く続くのだが、特長のないこういう風景はあちこちで見られたので、場所は不確かだ。

20060507041

 マルタ騎士団の救護所のような所に泊まった後、イテロ・デ・カスティージャという街に入り、運河のような水路脇をしばらく歩いたが、その最後に大きな水門の橋を渡ったが、映画ではそこを渡る映像が写っていた。 これはラマール・ノルテというらしい。 場所はフロミスタ。

続きは次回へ。

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2007年3月10日 (土)

映画サン・ジャック・・を観る

Gr2007031001  今日はもともと東京へ出る用事があったのだが、ふと午前中は空いているのだと気づき、早起きして銀座の映画館へ向かった。

 封切映画の初日、それも初回を観るなどというのは、半世紀を越える自分の人生で初めてのことである。 9時35分に到着すると、窓口は開いて行列が出来ていた。 巡礼にあまり関係のなさそうなお年寄りばかりが目立っていたが、シルバー券は1,000円なので、何気に頷けてしまった。 先着60名に入っていたため、マドレーヌが2個入った袋をゲットしてしまった。

Gr2007031002  「サンジャックへの道」の原題は、「サンジャック...メッカ」。 巡礼路(カミーノ)を歩くものだが、あくまでもお話であって、巡礼を紹介するものでない。

 まず、ル・ピューイとコンポステーラという街の名は出るが、それ以外の街の名も、また鶏の教会やブルゴス、レオンのカテドラル、アストルガのガウディの司教館といった有名な建物も街中の風景も全くなく、見るのは石ころだらけの草原や山道だけであった。

 ホタテ貝や黄色の矢印、赤白マークなど、巡礼路を示す表示すら写していなかったように思う。 他の巡礼者の鼾に悩まされる所はあったが、オーラと声を交わしたり、ウルトレーヤの歌を聞くことはなかった。 ミサの様子もなく、あえて宗教色を排除するものの、イスラム教の青年を登場させて、宗教的中和を図っているようにも思えた。

 サンチャゴの巡礼事務所の2階の様子はそのままを見られた。 実際の巡礼証明書発行カウンターはもっと混んでいるはずだが。 到着を祝ってパラドールに泊まるというが、あんな高い所に泊まるという設定も何か不思議。 コンポステーラのポタフメイロを写した後、バスでフィニステーレへ移動するわけだが、砂浜を写しただけで、南国風の街並みも灯台がある岬も、日没も写らなかった。

 この映画は、サンチャゴ巡礼の概要を知るには良いと思うが、もともと「お話」がメインなので、これを見たからと云って実際に巡礼路を歩くための情報が得られるわけでもないように思う。 お話と思って見る方が楽しいが、ストーリーの展開としては非常に単純な感じがした。 あと、字幕は文字数が多く、白っぽい風景に白い文字なので見にくい。 あまり読むことに熱中すると、景色が頭に残らないので注意を要する。

 館内の売店では、「サンティアゴ巡礼へ行こう」 と 「ぶらりあるき サンティアゴ巡礼の道」の書籍を販売しており、DVDもあったが、これは世界遺産全般の映像を収録したもので、コンポステーラを特定しているものではないらしい。

 また、以前入手したパンフレットに、数寄屋橋交差点近くの旭屋書店で、巡礼関係のブックフェアーを実施していると書いてあったので、行ってみたが、これまで何回も見た本(上記記載も含め9種)で、どれも読み物風の書籍で、歩く人のために実際に役立つ本はなかった。

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2007年3月 7日 (水)

ウルトレーヤ

 昨年のカミーノで、ブルゴスエマウスに宿泊した時、就寝前の祈りの会があった。 聖書の中の一節であろう、各国の言語ごとにプリントが用意され、日本語のものもあり、参集者がそれぞれの国の言葉で読み、そして初めて聞いたのがウルトレーヤという曲で、これを一同で歌ったのであった。 もともとJ.C.Benazetという人の作曲によるチャントのようだ。

 詞の内容は全く分からないが、”コンポステーラまで元気に頑張って歩きましょう”と互いに励ましあう内容らしく、歌いやすく何気に歩調が早くなるような曲だった。 この曲は、ポンフェラーダの宿の教会でも歌われていた。

Chant_score   詞はフランス語のようだから、本来はルピューイから巡礼する人々が励まし合うもので、スペイン人の世界では歌われていないのか、それ以外の所では聞くことはなかった。

 この度、CONQUESというCDをお借りすることができて、久しぶりにこのウルトレーヤを聞いた。

 間もなく公開される映画「サンジャックへの道」の中でもきっと聞くことができるであろうが、サイトを調べていたらAssoc ST - Jacques NORDでも聞けることが分かった。 そこで少しスクリプトを弄ってみた。

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2007年2月15日 (木)

サン・ジャックの道の上映日が決まった

先ほど、東京・有楽町にあるシネスイッチ銀座のページ(http://www.cineswitch.com/index.htm)を見ていたら、カミングスーンのページで映画「サン・ジャックの道」の上映が3月10日からと表記されているのを見つけた。(昨日更新かも)

http://www.saintjacques.jp/を見たら、こちらのトップにも記載。 土日は混むでしょうから、12日の週に見に行こうかなと思っている。

今年、GR65(ルピュイ・ルート)を予定している身としては、どんな景色が見られるか興味津々。 ストーリーも面白そうだし、大変期待している所。

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2007年1月14日 (日)

映画「サン・ジャックへの道」

 仏映画「サン・ジャックへの道」という映画が2月以降に上映されると聞いた。 フランスのル・ピュイからサンチャゴまで1500kmを歩くというものだが、記録映画だと思ったら、これが巡礼とは似つかわしくない人物が登場し、遺産相続という現実的な理由で歩き始めるらしい。 そして、最後は巡礼という本来の意味を発見するというものらしい。

 ストーリーの面白さもあるが、今年歩く予定にしているル・ピュイからサンジャンまでの道の様子を知ることができるし、すでに歩いたサンジャンからサンチャゴまでの道は再確認できるのではと、非常に楽しみにしている。 上映する東京のシネスイッチ銀座のサイトには、タイトルは掲載されカミングスーンと表示されているも、上映日などの記載はまだない。

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2006年12月17日 (日)

ぶらりあるき サンティアゴ巡礼の道

 先日、書店でタイトル名の書籍を見つけたので読んでみた。 自分が実際に歩いた時の軌跡を思い出しながら読むと、懐かしさと同時に自分が体験してないことも書かれていて楽しい。 ただ、これから歩かれる方が同じ体験を出来るわけでなく、自分は自分のカミーノを歩くつもりで、この本を読んだ方が良いだろう。
Caminobook011
 ここには、海外の人々との交流の楽しさが書かれているが、それは我々もつくづく感じた。 逆に考えると、色々な人々との語らいがなければ、カミーノ歩きは面白くないし、サンチャゴに到着した時の感慨はないと思う。

 実際、コンポステーラに着いて、カテドラルを見上げたことより、途中行き交った日本の男性お二人と偶然再会できたことの方が感動深く、何気に眼に涙すら憶えてしまった。

 ワイン工場脇の無料ワインは出なかったし、サンチャゴのパラドールでの10名限定食事にもあぶれてしまったが、いいことも一杯あった。  フィニステーレの日没も、サンチャゴとは違った感動があった。 あの感動は、その場に居た者だけが味わえるのである。


Caminobook012_1  さぁ、来年予定しているル・ピューイ歩きの資料集めをしなければいけないのだが、遅々として何も進んでいない。 前回は、格安な航空券が取れたし宿泊費も わずかなものだった。

 航空会社のチャージはどんどん増えているし、フランス国内だと宿泊費のみならず生活費全般で費用がかかるであろう。

 でも、また新しい出会いがあると思うと、行かなければという、はやる気持ちになるのは、カミーノ病に患いはじめているのかもしれない。

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2006年9月14日 (木)

ル・ピューイ ルート

 前回のエントリーにコメントをいただいたボストン在住のMakさんからメールをいただいた。 また、Makさんが昨年歩かれた、フランス国内の巡礼路である、ルピューイ・サンジャンピエドポー間のブログ・アーカイブを読ませていただいた。

Gr65lepuy   この地図は、その時にダウンロードさせていただいたものだが、この図で見ると青い線の所が、これから歩こうとしているコースになる。 GR65という長距離ウォーキング用の番号がふられている道だ。 その右の先にはスイスのジュネーブという都市がある。 因みに、Makさんは、ジュネーブからルピューイを来年歩こうかと練っているそうだ。 

 フランス国内の道は、スペインのカミーノと違い、街道表示がかなりアバウトで、しかもジットという巡礼者用宿舎がどの集落にもあるというわけではないらしい。 スペインのように、早く到着してベッドを確保するという形ではなく、電話で部屋を予約するとか、宿がない場合はタクシーを呼んで、次の町まで行く位の言語力を備えていなければならないようだ。

 参考文献も少ない。 先日、The Confraternity of Saint James からこのルートの案内だと思って注文したら、Paris to the Pyrenees
というパリからのGR655というルートのものであった。 もう一度注文し直しになった。

 Jean-Pierre Siréjol, Louis Laborde-Balen, Le Chemin du Puy vers Saint-Jacques-de-Compostelleという20Eほどの地図付きの本はフランスのアマゾンから取れそうだが、フランス語では何も分からない。 今の所、スパニッシュタイム&スパニッシュマパスのサンチャゴ巡礼日誌・ルピューイ編しか参考になりそうにないということで、大変心もとない状態にあるわけだ。

 ここの距離は750~800km。 もし歩ければ、前回のカミーノと合せて、踏破距離が1600kmになる。 この数字を見ただけでも、少しワクワクするような気にもなる。 この区間の景色は秋が素晴らしいということなので、来年夏までゆっくりと準備をして行くことにしたい。

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2006年7月17日 (月)

携帯電話のカメラで撮った花

 カミーノで、リンゴやアジサイ、バラなどの人間の手による花を見たが、畑の畦や休耕地には、野草の類であろう黄色や赤色の花も多く見られた。 しかし、その名前までは分からない。 高度が高くなるに従い、ラベンダーなどのハーブ系の野草の花も沢山あった。 そんな中から携帯電話のカメラで撮った映像をアップしてみた。

060426_124728 060428_095550 060428_095936 060428_113321 060506_115502 060507_125004_1 060509_102105 060509_102118 060517_085907

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2006年7月13日 (木)

カメラについて

 カミーノであれ通常の旅であれ、旅の途中の自分を残しておきたいと願うのは、世の常、人の常であり、その手っ取り早い方法がカメラで風景や人物を撮影することであろう。 初めは一眼レフカメラと交換レンズという組み合わせを考えたが、その重量とフィルム持参の面倒くささを考え諦めた。

 そこで、ソニーのR1というズーム機能が付いたデジカメ一眼であれば、重さ1kg程度で画角が広くマクロ撮影も可能だと知って購入した。 その後、家内にもカメラを持たせた方が視点の異なる映像が撮れるであろうと、リコーのGR DEGITALも買って、二台をカミーノに持ち出すことにした。

 デジカメの画像ファイルは当然メモリカードに記録されるわけだが、記録画像が増えるとメモリに余裕がなくなる。 メモリカードを沢山買うのは不経済だし、撮影総容量がどの位になるか見当も付かないので、フォトストレージなる機器の購入を検討したが、どれも転送速度の遅さやバッテリーの持ちなどが悪く、適当なものが見つからなかった。 日記を残すことも考えて、キーボードがあるPDAを考えたが、LINUXザウルスにしてもHDの容量が少ない。 1枚3Mbの写真を1日に100枚撮影するとして、300Mb×40日で約10Gbの容量の保存領域が必要となる。 それならば後々使えるノートPCにしたらいいであろうと、重さ900g台のノートPCに狙いを定めた。

 実際にカミーノを歩きだして、一眼レフカメラを首から提げたのだが、1kgという重さでも首にかかる負担は大きく、たちまちのうちに肩も凝りだした。 歩き始めて3日目で、ザックの減量の必要性を実感し、パンプローナから日本へ一部荷物を送り返したのだが、その中に一眼レフも入れることにし、以降の撮影はリコーのGR1台で済ませることにした。

 GRにはファインダーがなく、ディスプレイを見ながら撮影するわけだが、スペインの強い日差しの中ではディスプレイが反射してしまい撮影映像を確認できず、加え自動焦点のタイミングが遅いので、かなりいい加減にシャッターボタンを押していた。(カメラ店でディスプレイに付ける折りたたみ式の遮蔽装置を買ってはいたが、カミーノ歩きの中でそんなものはいちいち使えない) 帰国してから写真を見比べると、どれも曖昧なピントに発色具合もあまり良くなかった。 最初から荷物の重量を考えていれば、途中で一眼レフを手放さなかったものをと、悔やまれてしまった。 もっと値段の安いデジカメの方が良かったかもしれない。

 カミーノを歩き出した時、リコーの銀塩カメラを紛失した人がいたらしく、あるアルベルゲの雑記帳にGRと表示したカメラの絵を描いて、見つけた人は連絡してほしいとあった。 当方で持つGRはDIGITALなので関係ないのだが、はたから見ると同一機種のようで、少し不快な感じがした。

 さて、カミーノでは、殆どの人がコンパクト型のデジカメを使用しており、フィルムカメラも交換レンズのカメラを使う人もいなかった。 逆にカメラを持たずに、映したら送ってくれとメールアドレスを教える人も結構いた。 そもそも写真などという形ではなく、自分の心にカミーノを残すという考え方でも良かったのかもしれない。

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2006年6月29日 (木)

行程マップ

 サンジャンピドポーの巡礼事務所での受付の際、アルベルゲの有無などが記載された行程距離表、区間毎の高低図(受付のおじさんは冗談ばかりで、この紙をくれるのを忘れ、我々は後で貰っていないことに気が付いた)、そしてピレーネを越える際の注意事項(これだけは日本語で印刷)を配布している。

 事前に取り寄せていた案内や地図を持っていたので、だいたいの道順は分かっていたが、次に、どの村まで歩くかと決める際に、高低差というのも大きな要素であることに気が付いた。 そこで、文房具店で胸のポケットに入る位の、小冊子ほどの大きさの案内本を見つけ購入。 スペイン語なので読むことはできないが地図だけでなく、高低図、アルベルゲやレストランの有無などが絵で載っており、結構重宝した。 価格は3.75Eだったと思う。

Caminoroute1小冊子の表紙


Caminoroute2左頁の上部に順路の概略図、下部に高低図が記載されている。


Caminoroute3

右頁に町や村に、アルベルゲ、オテル、バル、レストラン、食料品店、薬局などがあるかの絵(アイコンが白抜きの所は当該施設がない)、電話番号などが載っている。

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2006年6月23日 (金)

ツアー旅行ではない

 スペインへ巡礼の旅に行ってきたと言うと、大方の人は旅行社が募集するツアー旅行に行ってきたと思うらしいが、我々の旅は手作りのフリーな旅なのであった。 そこで今回の旅の概要を記そうと思う。

 サンチャゴを目指す巡礼路はフランスルートやイギリスルートなどいくつかあり、そのルートにある村や町には、巡礼者を泊めるアルベルゲもしくはリフリージオ(救護所)という宿泊所がある。 多くはミュニシパルと言われる公立のものだが、教会や修道院が管理するものや民間が運営するものもある。

 フランスルートの場合、フランスのサンジャンピエドポーの巡礼事務所でパスポートを提示し、巡礼者手帳(クレデンシャル)を発行してもらう。 巡礼者は、この巡礼者手帳を提示することでアルベルゲのベッドを確保できるのである。 いわゆる一般の旅行者はアルベルゲに宿泊できないので、宿泊する巡礼者の身元は確かだということになる。 この宿泊所は(本来は)事前に予約するということはできず、一日の歩行の後にたどり着いた所で、空いたベッドを確保し、そのベッドに横になって一晩休むのである。 宿泊費は、寄付(ドネーション)という形もあるが、通常は4ユーロから9ユーロほどで、夕食や朝食をつけて22ユーロといったような場合もある。 ベッドが一杯で空きがない場合には、近くのアルベルゲを探すか、無い場合には次の村のアルベルゲまで更に歩くことになる。 オテル(ホテル)やオスタルがあれば、プライバシーが確保される部屋に泊れるが、30~100ユーロといった宿泊費用がかかることになる。 これが毎日続くと旅費は高額なものになってしまう。 巡礼者手帳には、スタンプラリーのように、その町や村を通過した証としてスタンプ(セージョ)を押してもらう。 オスタルなどにはスタンプがないので、泊れなくてもアルベルゲに寄ってスタンプだけは貰うことになる。

 スペインは午後2時から5時頃までシェスタ(昼寝)に入るので店は閉じてしまう。 アルベルゲの受付も4時頃からという所もあって、そういう場合は入口にザックを置いて順番待ちをするか、空いているベッドにザックを置いて確保し、後から受付をするという所もある。

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2006年6月17日 (土)

Google Earthで見たカミーノ

Saintjeanroute Googleの英語サイトからGoogle Earthをダウンロードして、フランスルートを初日に歩いたサンジャン・ピエドポーからロンセスバイエスの間のピレーネ山中を見てみました。 黄色い線が国境線で上がフランス、下がスペインになり、歩いた道は道幅2~3mの殆どアスファルト舗装でしたが、映像からは確認することができない。

 更に、サンチャゴの中心地を見てみたが、サンチャゴ空港やモンテドゴゾ(喜びの丘)までは確認できたが、肝心の中心地は詳細な地図がなく、全く分からない。

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2006年6月16日 (金)

カテゴリーの追加を行う

 4月21日~5月27日(携帯電話からのエントリーは4月19日~5月31日)の間に、カミーノから速報として掲載したエントリーにはカテゴリーが付きませんでした。 従って、初めて来られた方が遡って閲覧する場合、バックナンバーから飛んでいかざるを得ず、見難いため新たにカテゴリーに「現地からカミーノ速報」を追加し、一覧できるようにしました。

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2006年6月15日 (木)

携帯電話による海外からのエントリー

 結論から言うと、携帯電話は、通話・メール共に、フランスルートの殆どの場所で使え、電波が弱い場所はあったものの圏外となった地域は非常に少なかった。

 当初、2ヶ月間近く家を空けるための緊急時の連絡手段として、国際通話ができる携帯電話の購入を考えていた。 通話ができて、さらにブログへのエントリーが出来れば、なお良いと思っていた。 初めは、限られた期間なのでレンタルで良いと思ったが、電話機そのものの紛失を考慮した補償契約を含めると、使わなくてもレンタル費用がかなりの金額(不確かだが5万円以上)になってしまう。 そこで、国内で通常使えるもので、そのまま海外でも使える携帯電話を購入することとしたが、auもDocomoもヨーロッパでの利用に対しては地域など非常に限定されたものだった。 そこで、フランスやスペインでの通話が可能と思われたVodafoneの3Gタイプを購入した。 

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2006年6月10日 (土)

カミーノのトイレ事情

 まだ記憶が新しいうちに、カミーノを歩くにあたって重要な要素であるトイレについて、今日は記述しようと思う。

 アルベルゲ(巡礼宿)のトイレは一ヶ所を除いて、全て水洗式で通常の座るタイプであった。 一ヶ所というのは、ボットン式で、過去のエントリーでも書いたが、マンハリン(5年前は住民がおらず野犬の村と云われていたフォンセバトンの次の宿で、別棟の格子状の簡素な囲いのトイレで、済んだ後は石灰の粉を撒くもの)であった。

 トイレは、トイレだけの個室になっているものもあれば、シャワー、洗面台と一緒になって個室になっているなど、色々な形がある。 男女別のシャワー室の場合、男子の小便器があることもあるが、意外に小さく据付位置が高く、隣との間隔も狭い。

060429_194730  当然、便座の保温や水洗浄できるような機能は全くないし、タンクに溜める時の水流を利用して手を洗うようなこともない。 使い終わって、タンクの上部にある丸い玉を持ち上げるとフラッシュするものや、写真のように大小に分かれていて押すものもある。 若干だが、上部に設置したタンクの紐(くさり)を引っ張る旧式のものもあった。

 水流は見かけばかりで、日本のように綺麗に洗浄しない場合があるので、大の残りがある時は備え付けのブラシでこすっておく。


 便座がないトイレもあった。 便座がない所に直に腰を下ろすわけだが、疲れて長居は出来ない。

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2006年6月 9日 (金)

虫刺され

 カミーノを歩いて、足に肉刺(まめ)を作る人が多いと聞いていた。 学生時代から革靴を履いていたので、指の一部に硬質化している部分があり、これが靴に当たると痛く、メンディングテープで保護していたが、それ以外に足に問題を起こすことはなかった。

060505_104043  しかし、ムシには随分と好かれてしまった。 10日目のサント・ドミンゴで使った毛布が悪かったと思うのだが、ビニールに覆われた床マットでは冷たさがあると、備え付けの毛布を敷いた。 毛布にダニが巣くっていたのであろう、腕や背中数ヶ所喰われたことがあった。 それも痒さを我慢していたら、一週間位で赤味も取れてしまった。 これは使う毛布とか、その保存状態をよく見れば分かることかもしれないし、自前のラバーマットを持っていれば代替可能であろう。(湿気たマットの場合もラバーマットは重宝しそうだ)



200606ashi あとは、ポルトマリンからメリデまで歩いていた時だと思うが、バルで休憩している間、足を休ませようと靴と靴下を脱いでいる(肌を露出している)時にブヨのようなものに喰われた。

 直径2cmほどの大きさに腫れ上がるが、痛さや痒みはほとんどなかった。 ファマシーへ行くと白い塗り薬をくれたので時々塗っていたら、そのうち膿(うみ)がひけてきて、最近になってやっと瘡蓋(かさぶた)のようになってきた。 たまたま靴を履いていても当たらない部分だったので良かったが、そうでなかったら肉刺が潰れたような状態になって苦しんだと思う。 野(かつ地面)に近い所では肌をむき出しにしない方が良いようだ。 背中にも一ヶ所同じような事象が起きたが、そちらの方は比較的早いうちに消えた。

 やたらに草木に触れると、棘があったり虫に刺されると聞いていたので、この方には注意をしていたので問題はなかった。

 その他、胃腸薬、頭痛薬、風邪薬を持って行ったが、使うような体の変調はなかった。 ただ、あるアルベルゲで飲んだカフェコンレッチェが悪かったようで、下痢症状を起こしたことがある。 たぶん古い牛乳を使っていたのであろうと思う。 それ以外のバルで飲んでも腹痛を起こすことはなかった。

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2006年6月 8日 (木)

不精ヒゲは諦める

 200606hige 歩き終えて1週間が経ち、やっと体の疲れや時差ぼけが解消しつつある。 約2ヶ月間の不精ヒゲはここまで延びたが、ヒゲをたくわえると年齢以上に老けてしまうことや、女性から見ると、どうも汚らしい印象もあるようで、自分の人生の中で、初めてヒゲというものを愛でようかなと思いつつも諦め、数日のうちに剃ることにした。

 しかし、カミーノではこのようにヒゲを不精して伸ばしている人は少なかった。 西洋人は、シャワーを浴びている時に剃っているようで、特に奥さんと歩いている人は身だしなみに気を遣っているようだった。

 さて、歩く途中に合わせて3回も現地から留守宅へ送った荷物が手元に届いた。 ダンボール箱を持ち上げると、かなりの重さで、初めの数日にしろ、よくぞこれだけの荷物を運んだかと自分ながら驚いた。 中でも1kgの一眼レフカメラ(デジタル)は泣く泣く送り返したのだけれど、首から架けていると肩が凝ってしまい断念した。 しかし、今、思うにやはり持って歩きたかった。 リコーのGRだけでは、構図が取れず、しかもモニターに光が入って、被写体を十分確認できずにシャッターを押していることが多かった。

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2006年6月 4日 (日)

帰国しました

我々のカミーノを終え、サンチャゴやパリなどの都会の騒音や物価の高さに驚き、早々に日本に帰って来ました。

R120060421014  聖ヤコブの遺骸があるというスペインのサンチャゴへの巡礼路の一つであるフランスルートを歩こうと、昨年来準備を進め、去る4月21日フランス側のサンジャン・ピエドポーを出発しました。

 ピレーネ山脈越えは、初めは良い天気と素晴らしい景色に恵まれたものの、午後遅くからは雨や雹にたたられた辛い初日でした。

Gr20060527168  そして、スペインの山中や野原や田舎などを、30数日かけ歩き通し、色々な場で色々な新しい体験をし、また色々な人々とめぐり会いました。 共に歩いた方々の助言や情報、地元の方々の親切な心に助けられて、どうにかサンチャゴへ到着することができました。 距離にして800km弱、実際にはもっと歩いていたと思いますが、これだけの距離を1ヶ月余で踏破するなどとは、自分の人生においてもなかったことです。

Gr20060530081  カミーノはサンチャゴが終点なのですが、実際には北大西洋岸のフィニステーレが最終地点となっています。 我々も、この区間88kmを完歩するつもりで再出発したのですが、以前に記したように、この区間は巡礼者を迎える準備が無いに等しく、逆に完歩した喜びが削がれるのではないかと、残りの道をバスに代えてフィニステーレまで来ました。

 カミーノを体験して良かったことは、簡素な生き方、人それぞれの悲哀などなど、道中、色々な方の心に触れられたことではないかと思っています。 これまでの体験を自分なりに整理したく、また我々に続く方々のためにも、道中撮影した映像とともにウエブかブログで公開したいとは思っています。

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2006年4月27日 (木)

ただ今、スペインを歩行中

 ただ今、サンチャゴへの道を歩いています。 ピレーネ越えの時にお会いした日本人男性と今日再びお会いできました。 ザビエルが育ったハビエル城を見学されたと少し迂回されたようでした。

 たまたまネットにつながりましたが、基本的にボーダーの携帯電話からエントリーアップしています。 今の所、携帯電話は圏外にならずにつながっています。 と言いながらも一回のメールに300円程度かかると思いますので、請求書には注意しておきたいとは思っています。

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2006年4月16日 (日)

いよいよ流浪の旅に

 1年に渡って構想し準備してきた、カミーノの旅に出る日がとうとうやってきました。

 明日のフライト時間が早いので、今日は成田空港近くのホテルに泊まるため、間もなく家を出ようと思っています。 家内は、今朝になっても荷物の要不要を見直して、少しでも荷物を減らそうとしている。

 毎日、カミーノから携帯電話を使って、こちらにエントリーを試みようと思っているのですが、ある体験記のサイトを見ると、殆ど電波がつながらない(圏外)とありました。 大都市に入ったら、まとめて送るかもしれないし、国際ローミングの設定がよく分からないので、そもそも電話が全く使えないかもしれません。(一応、マニュアルを見て登録はしてありますが)

 それでは、行って参ります。 ボン・カミーノ!

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2006年4月15日 (土)

墓参りに行く

 平安時代の熊野詣では、死に装束に身をかため、熊野の巡礼路を昔人は歩き三山に参ったと聞く。 時代を経た、文明が発達し世界が狭くなった今日ですら、巡礼路には危険が付き物であろう。 ましてや外国となればその割合は大きい。

 そこで、出発が間近になったこともあって、今日は両親の墓参りに行き、旅の無事と子供達の安然をお願いしてきた。

 そして今日も荷物の検討をした。 登山の店にあったトイレペーパーを買ってあったが、やはり普段に使っている紙の方が質が良く、ミシン眼も入っている。 これを適当な長さに切って、一回一回使う分だけ折り込んでビニール袋に入れた。

 また、寝袋の下に敷くマットを用意していたが、これだけでも1kgほどの重さがあり、記録サイトを見ても夏場など混み合う時期にベッドが使えない時だけに利用しているものらしい。 そこで今回荷物の中から外すことにした。

 今夜も友人たちから電話がある。 2ヶ月も留守をするとなると気がかりになるらしい。 我々以上にワクワクしているとも仰っている。 ありがたいことだ。 いい体験をして無事に帰って来ようと確かな気持ちを持って、明日は出発しようと思う。

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2006年4月14日 (金)

冷蔵庫内の片付けなど

 2ヶ月間家を留守にするとなると色々なことに気を配らなければならない。 まず部屋の片付けだが、十分でないものの不要なものを捨てて綺麗にした。 ゴミは、分別し、出す曜日が指定されているので、一挙に捨てられずなかなか面倒だ。

 そして、冷蔵庫に生ものを残さないよう、毎日殆ど同じ物を食べている。 出発日には、生ゴミが出ないように外食しなければならないだろう。 旅行に加え、そういうこまごまとした気遣いが必要で、他に漏れはないかと気にかけていると、朝も早くから目が覚めてしまう。

 さて、最後はザックの重量がどの位になるかが気になる。 寝袋の結わい紐(ゴム)とか、盗難避けのチェーン鍵とか、一つ一つ必要だと細かい物を加えて行くと、自然とかなりの重さになってしまう。 サンチャゴ紀行本などを見ると、7kg程度に抑えなければと書いてあるが、不明な天候変化に備えるとか、より安全で体調を崩さない旅を考えると、どうしても減らせないのである。 結果、家内は8kg程度に、自分はカメラや電子機器があるので10kgにはなろうと覚悟している。 増える分、休憩の取り方、水分補給、紫外線避けなど、そういったことから疲れを残さないよう配慮して行こうと考えている。

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2006年4月13日 (木)

お餞別を戴く

 我々がカミーノを歩くと聞き、友人や縁戚からお祝いというのか、餞別というのか、はたまたコウデンになるかもしれない_(._.)_ 多額な一封を戴いてしまった。 謝々!

 そして、疲労回復に利くと、粉末青汁やプルーンをベースに作られた物(栄養剤?)、膝にいいからとジョイントビューティという粉末など、色々な差し入れもあった。 自分たちでも既に大高酵素のトクコーゼ(栄養補助食品)とか、オタカラーゼ(消化剤)を準備している。 大高酵素の酵素飲料も荷物に入れたいが、かなりの重さになるのでこれは断念。

 今日は、2ヶ月間和食を口にすることができないからと、お鮨をご馳走になってしまった。 皆から、このように色々な心遣いをされてしまうと、元気に踏破して無事に帰って来なければと、また、自分自身の心に残るような何かを得てこなければと、そんな思いを強くした一日であった。

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クエン酸とディクトン

 サンチャゴの報告サイトから得た情報を元に、昨日は、クエン酸とディクトンを買ってきた。

 クエン酸は、粉末状のもので、健康食品の類に入っており、梅干などと同様の効用があると、飲み水などに加え飲用すると疲労回復の効果があるとのことである。 そのまま口に含んでもいいのだがすっぱいので混ぜた飲用の方がいいであろう。

 そして、ディクトンは、スポーツと付記されたもので、一缶3千円とやや高価なものであるが、このムース状のものを足の指などにすり込むと、マメが出来にくいとか、皮膚荒れに効果があるとのことである。 缶がややかさ張るのが難点だが、マメを作るよりいい。 通販サイトで見つけた効能は次の通り。

・グリップ荒れ・・・ バット・ラケット・クラブ・竹刀・ボートのオールなどの競技や練習前に。
・靴ズレの防止・・・マラソン選手のレースや練習まえに。ジョギング、ハイキングの靴擦れ防止に。
・股ズレの防止・・・マウンテンバイク・サイクリングの競技や練習前に。臀部、股間、内股に塗布して、サドルやアンダーウエアーによるムレや擦れから肌を守る。
・手荒れの防止・・・器械体操選手の鉄棒・鞍馬・吊り輪・平行棒等の種目の演技や、練習前に。
・塩素荒れの予防・・・競泳・シンクロナイズスイミングなどの演技や練習まえに。
・ニオイの付着防止・・・釣りの餌づけなどで、ニオイ、手荒れの予防に。
・汗かぶれ・あせもの防止・・・ すべてのスポーツ選手の共通の悩みである汗かぶれやあせもの防止に。

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2006年4月12日 (水)

TGVの乗車券を予約する

 フランスの雇用法案が取り下げられると、ストライキが収束方向に向かうという報道に安堵した。

 ドゴール空港到着後は、モンパルナス駅近くのホテルに泊まり、翌日ルルドまでTGVで移動する予定だが、季節によっては切符が買えないこともあるという。 そこで、フランス国鉄であるSNCF donner au train des idées d'avanceへアクセス。

 そこから、TGV国内線の予約サイトTGV.COM : Prenez le temps d'aller vite (informations, idées voyage, réservation en ligne)へ飛び、英語モードに切り替えて、予約フォームに入力した。 とりあえず、コンファームメールが届き、予約番号もあったので、印刷して手元に置くことにした。 しかし、オーバーブッキングしていると表示されている。 席番までの表示はないので、実際に発券される時に記載されるのだと思う。 刻印とか、発車ホームがよく変更になるとか、車内アナウンスがないとか、車内礼儀とか、日本では考えられない習慣の違いがあり、悩むこと仕切りである。 まぁ、常にアバウトでいることを信条にしたいと思う。 そうだ、発券機の操作も難しそうだ。 英語が通じる窓口でプリントアウトした確認メールを見せるしかないであろう。

 とは云え、以前、イギリス国内は鉄道で2週間巡ったことはあるが、あの時はユーレルパスであったし、フランスは初めてなので、本屋の店頭で鉄道に関する旅行本を探した。 しかし、欲しい情報はなかなか見つからない。

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2006年4月10日 (月)

出発一週間前となった

 子供の遠足日前日ではないが、出発一週間前となって、何か気持ちだけ忙(せわ)しくなって、朝も早くから目が覚めてしまう。

 昨日は、部屋を整理していて、家内が5年前にバスでカミーノを訪ねた時のビデオテープが出てきて、延々と6時間も見てしまった。 その時はルルドから始まりファティマで終わっていたが、カミーノを歩く人々の姿はあまり映っていなかった。 しかし、以前購入したカミーノのビデオを含め、巡礼路の全体像を掴むことはできた。

 この時のビデオでは、4月21日のピレーネで雪が降り、除雪車が出ていた。 今年も雪が降るとしたら国道を歩くかもしれないし、途中文明の利器である車を使わざるを得ないかもしれない。 とにかく、その場で判断するしかない。

 しかし、まだ気になるのはフランス情勢である。 NHKの衛星放送で、姜尚中さんの現地報告を見たが、早期の解決には程遠いことが分かった。 姜さんが言っておられたが、社会における差別や将来への生活不安が、デモやストライキの要因であることは歴然としている。

 アイルランド紛争もイギリス本土による搾取や差別の歴史に端を発していたし、イランやイラクなどイスラム世界についても根本は経済問題であろう。 我々が学生時代にも南北問題があったが、今も形を変えた搾取社会はえいえいと続いていることが分かる。 北朝鮮やイランが原子力にこだわるのは、軍事面もあるが、第一に電力資源確保による経済力増強にあると思う。

 片や、アメリカ社会には肥満化が進み、肥満児は数十万人と報道されている。 さて、日本社会を見た時、フランスと同様に安い外国人労働者の労働力に企業がたより、若者は正職に就かず、よりフリーター化している。 フランスのように、若者が社会に意思表示しないのが一層問題を内在化させ、陰湿化させるかもしれない。

 そんな風に思うわけだが、テーマとしては大きく、そう簡単に解決するものでもない。 今は、TGVの7割が運行されているという報道を信じて、予定通りに旅立つことにしようと思っている。 

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2006年4月 7日 (金)

準備を更に進める

 フランスのストライキのことは心配だが、復活祭までには解決するであろうと思っている。

さて、昨日は登山用品の店へ行き、こまごまと仕入れてきた。 まず、寝袋を圧縮して小さくするベルト状のものを購入した。 これでザックの容積が随分と稼げる。 そして、水筒とチューブである。 はじめはペットボトルの水で済ませようと思っていたが、向こうのペットボトルの材質は弱いと聞き、きちんとしたタンクが必要のようだ。 加えペットボトルだといっきに水分を補給することになり無駄がある。 舌を湿らすような水分の補給方法が良いと、何かの本で読んだからである。

 さらに、ヘッドライト、自転車のチェーン鍵、アルベルゲでの鼾対策にとiPod nanoまで買ってしまった。 早朝は道が暗く黄色の表示を見失う恐れがあるとのこと。 鍵はやはり盗難防止。 ロマ人を非難するわけではないが、盗みを生活の糧とする人々は多いであろうから。

 今日は、AIUの海外旅行保険への加入手続きをした。 お任せのツアーとは違い、自分たちである程度付保しておく必要があろう。 不測の事故により、別便を予約するとか、車椅子や箱のごやっかいになるかもしれない。 あまり云いたくないが、これこそが自己責任であろうと思い、二人で6万何がしかの支払い決済をした。

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2006年3月28日 (火)

フランスが全国規模でスト入りに

 フランスの若者向け雇用政策に反対する学生達の運動は労働組合に波及し、今日は全国的にストライキが発生したとのこと。 本来なら諸手をあげて応援したい所。 我々が学生時代には、ノンポリであったものの体制側の対応に思う所は数多くあった。 学費値上げや軍拡に歯止めをかけたかったのだが、あの時でも日本の労働組合は殆どそういう動きに何ら呼応しなかった。 学生達の一部がセクト化せざるを得なかったのは、そういう日本特有の現象の結果であろう。 そのような過去からの日本と比べると、フランスの市民運動というのは本来の民主主義が息づいていることを実に気づかせてくれるものである。

 でも、今回は早く解決してくれないと我々の計画が進められない。 長引けば、場合によっては中止せざるを得ないかもしれない。 シャルル・ドゴール空港に着いても鉄道が動いていないと全く身動きできない。 予定では、パリからルルドまでTGVで移動し、時差ボケを解消し、体を現地時間に合わすため数日そこで過ごすつもりでいる。 出発地点のサンジャン・ピエドボーまでは近く、ローカル線だしバス乗り継ぎでもどうにかなるであろう。

 とにかくモンパルナスからルルドまでの6時間余りのTGVに乗れればと、今日、トーマスクックの時刻表と、ダイヤモンド社発行のヨーロッパ鉄道ガイドブックを買ってきた。 TGVの自動券売機は向こうの人でも使いにくいとのこと。 窓口で地図と指先を使い目的地と枚数を表示して切符を買おうと思う。 ホームには改札口のかわりに、日付スタンプがあって、自分で刻印してから乗るとのこと。 これをやらないと切符を持っていても無賃乗車となって罰金が科せられるらしい。 まだまだ、鉄道ノウハウなど、知らなければいけないことが多くありそうだ。

 それにしても、ストライキの早期解決を願いたい。

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2006年3月25日 (土)

持ち物点検を行った

 体験者のサイトを参考に、これまで衣類や装備、小物類など集めてきたが、ここで一旦確認しておこうと、出発時の衣類など身に着ける物、ザックに収納する物、手提げ袋に入れる物に分けて、それぞれを床に並べて行った。 以前にも書いたが、ザックに全て収納し、機内持込サイズ以上になることがないように、寝袋やマットなどは別の手提げ袋に持つこととしている。

 荷物としての大所は、寝袋、マット、ゴアテックスの上下、カメラや充電器などの器材なのである。 石鹸、シャンプー、トイレ紙、飴といった、一つ一つは軽い物でも、それらが一つにまとまると結構な重さになる。

 一番のポイントは、寒さ対策、雨対策だろうと思う。 その心配がなければかなり荷物は軽くなると思うが、ピレーネは5月でも雪が降るというから、仕方ない。

 少しでもザックを軽くするためには、出発するまで何回も必要の有無を検討しなければならないし、あとで後悔するような漏れがないようにしなければならない。 そこで、エクセル表に一覧にしておき、検討を繰り返すことにしている。

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2006年3月24日 (金)

郵便物の局留め

 2ヶ月間、留守にするということなので、今日は郵便ポストに入ってくるものの対応を行った。

 まず、毎週郵送される週刊誌は購読を一旦休止することにした。 新聞も購読をやめた。 新聞は日割り支払いができず、月額購読料から休んだ日数だけ一定額が引かれるというので、休むというのは損なのである。 新聞店預かりという方法もあるが、まとまって配られても見る気はしない。 そこで、全く購読を止めてしまったのである。

 そして、郵便局へ郵便物の局留めについて聞きに行った。 今までも機会あるごとに郵便局には局留めを頼んできた。 今回は2ヶ月ということで聞いたら、局留めは1ヶ月のみだと言う。 2ヶ月ならば、はじめの1ヶ月が終わる時に続けて次の1ヶ月の留置き依頼の書類を出してくれとのこと。 まだ日本に帰っていないのに、そんなこと出来るわけないでしょと、声を荒立てたかったが止めた。 代理人でもいいということで、知人にお願いすることにした。

 最近は、郵政民営化の話題がとんと聞かれなくなったが、客の事情や要望に合わせた機能を提供するのが本来のサービスであろう。 一律な説明しかできない担当者に、郵政民営化の効果が期待できないなと感じた。 市民の公益は二の次、組織としての効率化を狙い、智い者だけが富を得るというのが、民営化の本来の姿のようにも思えた。 郵政民営化で困る場面は各所各様であろうと、再認識した日であった。

 ただし、最近は宅配業者による配送(郵便)物がある。 これは、どこから来るか分からないので対処の方法がない。 最後は、郵便ポストの受け口にガムテープを貼るしかないかもしれない。 でも、そうすると、我が家は留守ですと表明しているようで無用心になる。 一番良いという策はないのかもしれない。

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2006年3月23日 (木)

エル・シド

 昨日、新聞のテレビ欄を見ていたらエル・シドという1960年代の映画が載っていた。 40年以上前のあの頃は、十戒など、チャールトン・ヘストンが出演していたスペクタルというか歴史映画に目を見張ったものであった。(今日のチャールトン・ヘストンは、アメリカのライフル協会長らしく、銃社会を率先するなど最右翼的人物だと聞く。 好ましい人物だとは到底思えない)

 古い記憶であったが、スペインを舞台にした武将の話であること位は覚えていたが、前回エントリーした「サンチャゴ巡礼へ行こう」の本を見たら、130ページに詳しく書かれていた。 シドというのはシッドとも発音するらしく、武将とか殿様とかいう意味でムーア人が名づけたのこと。 シド本名ロドリゴには、双子の娘がいて、確執があったのかその娘の婿と闘ったというような記載があった。

 サンジャンピエドポーからピレーネを越えて286km歩いた所にブルゴスという都市がある。 そこがエル・シドの舞台になった所らしく、近くのカルデーニャ修道院にエル・シドの墓があるとのこと。 時代は1050年頃だから、日本では平安時代中期頃であろう。

 現代のエル・シドであろうか、バスク独立戦線(ETA)が停戦宣言したと今朝ニュースが流れていた。 カミーノの一部はバスクにかかっており、あまり関係ないであろうが、良いニュースであった。 あとは、フランスのストライクがどこまで続くか、拡大するのか、そこが気になる所である。

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2006年3月21日 (火)

サンチャゴ巡礼へ行こう

 手元に、中谷光月子さんという方が著された「サンティアゴ巡礼へ行こう!」という本(彩流社刊2200年+税)がある。 マドリッド大学に在学されたり、日本企業の現地法人に勤めたりされるなど、長くスペインに住むことで得た現地の情報を元に、ばば殿というお母さまと一緒にカミーノを歩いた経験を記されている。 60歳代の方が一緒だと一部厳しい路はタクシーを使うなどして、カミーノを上手に歩かれている。

 この本には、主要都市におけるホテルや食事情報、ヘミングウエイが宿泊したホテルの部屋とか、日本へ布教に来たフランシスコ・ザビエルの生家、グレゴリオ聖歌で有名なシロス修道院といった観光スポット、土産物など 観光案内的な記述が盛り沢山載っているのである。

 我々もただ歩くだけでなく、また急いで歩く必要もないので、文化的な物や著名な物には是非目に触れておきたいと思っている。 したがって、家内は、この本だけは持って行こうと言うほどためになりそうなのである。

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2006年3月20日 (月)

準備は進む

 買ったザックにシュラフや衣類などかさ張る荷物を入れてみた。 重さは7Kgほど、ほかにデジカメ、運動靴、スリッパ、薬などの小物類を入れると、やはり8~10kgになるであろう。 ただそのままザックに入れると、機内持ち込み荷物の体積以上になるので、飛行機に乗る時はハンドバック大の入れ物に小分けする必要がある。

 色々な思考を繰り返したが、寒さ対策もあり、要るものは要るのである。 体力を減らさない程度に体重を落とすとか、一日の歩行距離に余裕を持たせるしかない。 そのぶん日程を多めにせざるを得ないが、帰国便までは余裕があるのでそれも可能である。

 昨日は、到着日のモンパルナスのホテル、時差調整のためルルド2日滞在のホテルを予約した。 あとはTGVなど、列車の路線や時刻表を調べれば、大きな決め事は終わる。 それでも小間物は出発まで頻繁にチェックして行こうと思う。 携帯電話は国際電話やメールが使えるボーダフォンにしようかと思う。 通話料の多寡にもよるが、携帯電話からこのサイトにメールアップして、逐次消息を記そうとは思っている。

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2006年3月18日 (土)

道具を揃いはじめる

 日程が決まると、いよいよ装備の準備である。

 昨日は、登山用品の専門店へ行って、ザックと寝袋を買って来た。 普段山登りで使っているリュックに近いものでは衣類程度に限られてしまう。 寝袋やマットまで入れることを想定し、家内は40Lを、自分は50Lのものにした。

 それ以上の大きさであると荷物が多すぎて重くなるだろうし、なにより飛行機に乗る際に預かり荷物とせざるを得ない。 預かりの場合、手荒く扱われて破損したり、紛らいして目的地で行方不明になる恐れがある。 どうしても機内に持ち込みたいので、その範囲で内容物を考えようと思っている。

 必要なものを入れてみて背負ってみた時の感触によって、ザックの交換も可能と言ってくれたので助かった。

 寝袋は、以前震災の時に使ったのがあるので、一つだけ買ったが、雪山に行くわけではないので耐寒温度の標準的なものにした。 そうは言っても、ピレーネで雪に合えば寒いかもしれない。 着る物で何とか工夫しようと思う。

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2006年3月14日 (火)

参考本を見つけた

 先週、所用があって日本を出た。

 宿泊したホテルの近くにチャプターズという大きな書店があって、そこで見ていたら THE PILGRIMAGE ROAD TO Santiago - THE COMPLETE CULTURAL HANDBOOK  という本を見つけ、英語版だが早速買ってしまった。 すぐには読めないであろうが、先々調べ物の時に参考にしようと思う。

 著者は、1974,1979、1987、1993、1996年と5回も歩き通したとあり、その序説の最後に書かれていた詩が気に入った。

The Road has no beginning,
and the Road has no end.
The towns they run together
and they run apart again.
Right now is the only moment,
and Time is the time to go
and make yourself a pilgrim
on the Road to Santiago.

              Buen camino!

sanchagobook1

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航空便を予約する

 先月から格安航空券などをネット検索しフランス往復便を探した。 正規の航空運賃は馬鹿高いので当然買うことはできない。 そして帰国する際の便も確保しなければならないのだが、サンチャゴまでどの程度の日数で歩けるか分からないので、帰国日を事前に特定することもできない。

 そんな中、アジア系の航空会社で、2ヶ月のフィックスだが、帰りの便は空いていれば前倒しで変更が出来るというのがあり、それにした。 行きも帰りも、その航空会社の国に寄って、飛行機を乗り換えなければいけないが、それでも料金としては大変安い。

 ということで、4月中旬出発、6月中旬帰国という、大まかな日程をたてた。 5月上旬までは寒さが気になるが、出発を遅らすと逆に夏休みにはいる学生達が増え、アルベルゲでの宿泊が困難になると思われる。 そんなことで少し早めのスケジュールとした。

 2ヶ月というかなり長い日程を組んだが、出発前の時差ボケ調整のために、途中ルルドに寄るとか、歩き終って、更に大西洋まで歩くとか、ファティマに寄るとか、日程の使い方は色々あるであろう。

 航空便を押さえてしまうと、あとはどんどん計画をつめて前に進むしかない。

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2006年2月23日 (木)

カミーノ魂の旅路を読む

 神渡良平著「星降るカミーノ・魂の旅路」のあと、図書館で俳優シャーリー・マックレーンの「カミーノ魂の旅路」を見つけ読んでみた。

 読後の感想だが、神渡良平氏の著作を含め大変な違和感を覚えた。 一言、「違う!」という想いだ。 まだカミーノを歩いていないので、実際にどういうふうに感じるか全く未知ではあるが、自分の思想とはほど遠いように感じた。

 そもそも出発点が異なるのかもしれない。 シャーリーの中では(多くの西洋人に共通するのであろう)、男性性・女性性という視点が思想の多くの部分を占めているようだ。 確かに人類の生存は男と女の存在によるものだし、カンジス川の源流をたどると男性のシンボルが鎮座していたと、何かの映像で見たことがあるし、神社の本殿にもご神体としている所があると聞く。 高千穂だったか、社で昔の神様が裸神楽を奉納したとか、熊野三山で、その昔巫女さんが布教と称して全国に散らばったというような話も聞いた。

 このように、男と女の存在が人類存続の根源であることは否めない。 でも、魂とか霊性というものを考えた時、そういう要素は少ないのではないか、あくまでも生きている人間から見た思想ではないかと思える。

 つまり、魂というのはもっと根源的であり、より普遍的なものではないかということだ。 そして、男であれ、女であれ、草花であれ、生き物であれ、「共にある」ことが非常に重要ではないかと思っている。 魂の中に男性性・女性性を見出すとか、戦争犯罪人(国民を惑わせ苦渋の人生を与えたという意味で)である軍人を祭るというのは、生きている人間が都合がいいように発想するものであろうし、傲慢であろうとも思う。

 シャーリーの言葉の中には、欧米人特有の押し出しとか、有名人という自意識もあろう。 そういう視点からもこの本を読まないと惑わされるであろう。 彼女には、これまでも精神世界の著作があるとのことだが、さほどメンタリティーを感じない。 霊視とかチャクラとか、そういう言葉の世界の中で自分の存在を感じているのだろうが、それらとカミーノがどのように結びつくのか疑問だ。

 カミーノを歩く人々の目的や動機は色々のようだが、四国霊場などと同じように、やはりカミーノは信仰の道ではないかと思う。 神であれ、仏であれ、あるいは地球上に存在するあらゆる生命の融合体である霊性、そういう物と自分を対峙することで、自らの生き方を見つける道ではないかと思う。

 現実には荒野を歩いたり、不快な思いをしたり、人の醜い部分に接するかもしれないし、形而上学的な思いを得られないかもしれない。 でも、800Kmに挑戦したい気持ちは今も変わらない。

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2006年2月10日 (金)

カミーノのビデオを見る

 先日、スペイン政府観光局のページに記したカミーノのビデオが昨日届いた。 届いたDVDは、安価な媒体をコピーしたようで、表面には Santiago de Compostela と書いてあるだけである。 早速DVDレコーダーにかけるとエラーとなってしまう。 アメリカ人が作るものだから大雑把なのであろうと半ば諦め、パソコンに入れると再生を始めた。 どうもMPEG形式のようだ。

 1時間50分ほどの映像で、巡礼道やアルベルゲの様子を見れたという点では良かった。 ただ素人が家庭用ビデオ(それもアナログテープ?)で撮ったもので、映像は粗くレンズの方向があちこち変わるので見ていて疲れる。 バックグランド音楽の音量が場面で変わるので都度ボリュームを絞るし、説明する声が明瞭でないため非常に聞き取りにくい。

 セブレイロなどの肝心な所は映っていないので、物足りなさもあったが、歩いている人達の様子がビデオで見れたということで良しとしよう。 値段も22ドルだから書物1冊の値段ということだろう。

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2006年2月 9日 (木)

SNJ歩くヤコブ巡礼の旅

 SNJ日西文化協会という所で、巡礼ツアーを募集していると聞き、早速サイトをのぞいてみた。 一人から参加でき、通常2日のコースを4日かけて案内人が同行してくれるというもので、アルベルゲの泊まり方とか巡礼手帳のもらい方とか、その間に指導してくれて、後は自分で歩いて下さいというもののようである。

 確かに言葉に不自由する中で、その効果はあるとは思うが、その程度であれば自分で解決して行きたいという気持ちだ。 と言いながらもスペイン旅行の情報が掲載されているので、このサイトを情報源の一つとして行きたい。

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2006年2月 8日 (水)

神渡良平著「星降るカミーノ・魂の旅路」を読む

 サンチャゴ巡礼を体験された先人が記された著作を読みたいと、見つけたのが本書であったが、既に絶版になっているようで手に入らない。 そこでアマゾンを見たら、新本だけでなく中古本を仲介するページがあることを知り、運良く数冊掲載されており、その中から早速注文したら静岡県内の個人から送られてきた。

 帯には、

人間は運命の主人公!

脳梗塞の後遺症で不自由な身体にもかかわらず

四国八十八ヶ所を巡礼した筆者が次にめざしたのは、

北スペインにある巡礼道「サンチャゴの道」(カミーノ)だった。

約800kmの行程を35日間かけて歩き通して得たものとは?

「人間は何のために生きるか」を問う感動の手記

とある。 

 既に、パウロ・コエーリョが記した「星の巡礼」、黛まどかの「星の旅人」は読んでいたし、フィンドホーンとかスーザンオズボーンとかの固有名詞も知っていたので、親近感を感じ読み進んだのだが、多くの誌面が内観とか輪廻転生に占められており、すこしがっかりした。 前段にある、広島長崎の被爆を糾弾するくだりも、原爆を投下したアメリカにも、その引き金を作った旧日本軍にも、その責を求めないから平和運動が続いてきたと記している。 これも非常に残念だ。 責任を明確にして来なかったゆえに、被爆者への援護が大変軽んしられてきたものだと思うからである。

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2006年1月30日 (月)

チーフテンズのサンチャゴを聞く

 アイルランド音楽の大御所とも云えるチーフテンズのSantiagoというCDを久しぶりに聞いた。 CDに入っている説明書きには1996年と入っているので10年近い前の録音のようだ。 収録曲全体に亘って、当然なのだが、ガリシアンパイプやアコーディオン、フィドルなど、ガルシアっぽい演奏ばかりだが、何となくコンポステーラの雰囲気を感じることはできる。 ただ、歩く予定にしている主要なフランス・ルートが、このガリシアとどの程度重なっているのかはよく分からない。 まずは、収録曲の概要をここに残そう。

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2006年1月28日 (土)

スペイン政府観光局

 スペイン政府観光局というサイトを見つけ、無料の資料の中にコンポステーラがあったので、ファックスでの依頼では時間がかかるであろうと、虎ノ門にあるという事務所に行ってきた。 無料のガイドだから、それほど詳しくは書いていないが、コースマップやアルベルゲ一覧などは使えそうだ。

 1999年10月に行かれた多田さんという方は、スペイン語で意思疎通が出来てしまったためであろう、巡礼証明書を手にすることが出来なかったということだが、今回貰った資料の中にも、証明書の発行はサンチャゴの巡礼事務所の判断によると書いてあった。

 今日は、フランスルートのピレーネを越え、スペインに入った最初の町であるRoncesvalle からSantiagoまでの踏破映像を記録したDVDが買えるCaminoVideoというサイトを見つけたので、早速注文した。  収録してある映像は2時間もあるとのこと、実際に歩いている人へのインタビューやティップスも載っているというので、今から楽しみにしている。

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2006年1月25日 (水)

ガイドブックが届く

 先日、スペイン書房へ頼んだガイドブックはその翌日には届いた。 英語版とスペイン語版の2冊を購入したわけだが、どちらも重さの点ではやや有り、少々難ありという感じで、実際には持っていけないであろうと思った。

 英語版の The Pilgrim Route to Santiago. - A Practical Guide for Pilgrim Travelling on foot、 on horseback、 by bicycle or by car. は、糊付けではなく、スプリング形状の針金で装丁しており、どうも手作業で作られているようだ。 つまり、数ページが重複しているのであった。 欠落がない分、良かったが、あちらの本は抜けがないかまず初めに確認する必要があると悟った。 また、この本の出版は1999年で、記載されている地図もかなり大雑把な感じがする。 概要を知る程度なのかもしれない。

 スペイン語版の Guia del peregrino. El Camino de Santiago, 2005. は昨年の出版だし、説明も詳しい(ようだ)。 <-スペイン語は分からず。

 別添の地図は一定の地域ごとに数部に分かれ、折込み式になっており、これは軽いし行程間の距離も正しいと思われ、重宝しそうだ。 これから、この地図にあれこれ日本語表示や見聞すべき建物や地名などの情報などを記入して、ルートなどを事前に確認していくつもりだ。

 しかし、この地図に欠落があったのだ。 フランス側の出発地点である S. JEAN PIED DE PORT からピレーネを越えて PUENTE LA REINA に至る間の地図がない。 この別添地図は、本の中にも記載があるので、それをコピーすれば特段困らないのだが、あちらの仕事はこんなもんだと納得した次第だ。

 日本人の感覚からすると、装丁の不備などは考えられないことだが、900Kmの旅は予定があっても無いに等しいであろう、あちらのアバウトな世界には、今から慣れておく必要があるかもしれない。

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2006年1月21日 (土)

書籍の注文し直し

 昨年11月にアマゾンに、英語版の"A Pilgrim's Guide to the Camino Frances: From St. Jean Pied De Port to Santiago De Compostela"を注文していたのだが、一向に到着する様子がなく、サイトへ照会しても、配送予定時期がどんどんずれていくばかりであった。

 そのため年が明けても準備に関する何の進捗もなく、今日はアマゾンの注文を取り消しし、スペイン書房

1.The Pilgrim Route to Santiago. - A Practical Guide for Pilgrim Travelling on foot、 on horseback、 by bicycle or by car.

2.Guia del peregrino. El Camino de Santiago, 2005.
をあらてめて注文した。

 前者は英語版、後者はスペイン語版で、スペイン語はとんと分からないのだが、耳や目に慣れさせなければいけないし、写真や地図などは参考になるであろうと考えている。

 飛行機の切符の買い方も調べなければいけないが、一応5~6月を予定しており、まだその時期の格安航空券などの情報はないし、帰りの便を確保することも念頭におかなければいけない。 まだ、準備の堵についたばかりなのだ。

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2005年12月 4日 (日)

星の巡礼

 サンチャゴ巡礼にむかうきっかけは、ブラジルの作家であるパウロ・コエーリョが記した「星の巡礼」を読むことであったという人が多いらしい。 既にこの作家の「アルケミスト」は読んでいたが、非常に観念的で形而上学的な雰囲気にずいぶんと戸惑ったものだ。

 今回のサンチャゴ巡礼は、自分の人生のエポック・メーキング的な道標として思い立ったのであるが、今遅まきながら、パウロ・コエーリョの「星の巡礼」を読み出した。 アルケミストと同じように観念的な表現に戸惑い、ジプシーとか犬が何を意味しているのか考えながら、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうな雰囲気になりながらも、自分に鞭打って読み進めている。

 そして今、フレーズを読んで、何事かが頭をかすめたのだ。

自分の人生には限りがあり、予想もしない時にすべてが終わるということを知っていても、なお、人々は、自分の人生で、永遠の生命を持つものにこそふさわしい戦いをしている。

 キリスト教会の中で”永遠の生命”という言葉がよく出てくるが、言葉通りだと不老不死の薬草か何かを飲んで、滅びない肉体もしくは心を得ることのように普通の人は感じるであろう。 しかし、これを読んでいて、そういうことではなく、この世に生を受け、自分の足で歩き続け、自らの死によって完成する一生記(あるいは生涯記)そのものが、-他人に知られるか知られないかにかかわらず- 残り続けること。 それこそが「永遠の生命」ではないかと思った。 稚拙な表現で分かりにくいかもしれないが、終わった人生は自分でも他人でも塗り替えることはできず、良くも悪くも、ある種の生命体として残り続けるのであると思ったわけだ。

 死んでしまえば何も分からないという人もいるであろうが、やはり自分の人生を納得いくような形で完成させたい気持ちは誰にも、その心にあるもの。

 そんなことも含め、単なる旅行とかウォーキングをするということではなく、自分の人生の一ページを記す道程として、このサンチャゴ巡礼を考えて行きたいと思っている。

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2005年11月24日 (木)

巡礼日記の記載サイトを見つける

 サンチャゴ巡礼路のメインルートは、フランスのサンジャン・ピエドポーからピレーネを越えて、スペインを横断し、サンチャゴに至る道なのだが、人によってはフランスの内部から歩く人もいる。 ウエズレーやル・ピュイ、ルルドなどからだと、総歩行距離は1400~1800kmになるであろう。 さらにローマから歩く強者もいるらしいが、さてさて距離はどんなものか? とんでもない距離なのであろう。

 今日は、我々が計画している標準ルート(800km弱)を歩かれた方のサイトを見つけた。  a green cat海外旅行記「飛んでグリねこ」と題したサイトの中に、その記述があった。 昨年7~8月に実施され、日によって一日に37kmも歩いたようだ。 旧東海道歩きで一日に40kmを歩いたことがあるが、最後は根性というか、日が暮れた道をかなり必死に歩いた記憶がある。 上り下りが多い道で30km以上歩くのはかなりキツイ。

 このサイトに記述があったが、最近は日本人が年に100名前後歩いているようで、出発地点のサンジャンピエドポーには日本語の案内が置いてあるらしい。

 また、こちらのサイトには、持ち物リストの一覧もあり、その要不要も記載されていて、かなり参考になりそうだ。 加え、事前の体作りとして、日に2時間の散歩や週末20kmのウォーキングを実践してきたと書かれており、これなどもこれからの準備の一つとして肝に銘じたい。

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